日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

草稿完成にも目途立つ!!

 

 草稿提出期限まで今日を含め残り2日。

 

 昨夜もコツコツ草稿資料(図・表・写真等)作成しました(^^♪

 

 「図」を「表」としていた気づきもあり(ケアレスミスですが、本文も手直し💦)、

キャプションの付け方もしっかり確認してっと。

 

 自分で気づくことの出来る誤りは修正して、自分で納得して提出して結果を待ちたい

ですからね。

 

 まだ作業自体は多少残っていますが、これで期間内に提出出来る目途が立ちました!

 

 『卒業論文草稿』という関門に合格しなければ、本稿提出ステージに進めないので、

未提出という結果は避けられます(^^♪

 

 結果は神のみぞ知るですが・・・、八百万の神々に祈って結果を待てるよう完成を目

指します(^^♪

 

 合格したら・・・、新型コロナウイルス蔓延状況が心配ですが、主査の教授と面談し

た~いって思っています(^^♪

博物館学芸員資格取得科目『博物館資料保存論』在宅特別科目習得試験結果は如何に💦

 

 博物館学芸員資格取得科目はこれまで『生涯学習概論』と『博物館資料論』に合格㊗

 

 先日受験した『博物館資料保存論』結果が返却されましたが・・・、果たして結果は💦

 

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 非常に難しい科目であり、レポート課題も再提出になっちゃっていましたからドキド

キしながら開封すると。

 

 85点で見事合格です(^^♪ 評価は「優」 ホッと一安心です。

 

 これで博物館学芸員資格取得科目は3教科合格ですが、『博物館概論』・『博物館経

営論』・『博物館展示論』・『博物館教育論』・『博物館情報・メディア論』と『博物

館実習』が残ります。

 

 いかに長い道のりかを御理解頂けるのではないでしょうか💦💦

 

 現在は『美術史概論』テキスト学習を一旦中止して、いよいよ来週に迫ってしまった

卒業論文草稿』に全力投球しておりますから、科目習得試験受験は当分なし💦

 

 草稿も完成間近ですから、テキスト学習も徐々に進捗させていかなければなりません

ね。しかしながら、まず一歩前進です(^^♪

野上下郷石塔婆(埼玉県秩父郡長瀞町)

 

  【 野上下郷石塔婆 】

 

            所在地: 秩父郡長瀞町野上下郷39

 

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 現存する板石塔婆としては日本一の「野上下郷石塔婆」は、緑泥片岩製で高さ1丈丈

6尺7寸(537㎝)、最大幅3尺3寸2分(120㎝)、厚さ4寸(12㎝)。

 

 『新編武蔵風土記稿』には、「古碑へヲ仏ト云、小名小坂ニアリ長サ一丈六尺七寸、

応安二年己酉十月日」と記されている。

 

 同質の台石上に立ち、表面上部には釈迦如来の種子に梵字の光明真言、「願以此功徳

云々 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」の法華経化城喩品の偈文を刻んでいる。

 

 「権少僧都大檀那道観 比丘尼妙円 行阿 応安二年乙酉十月 日敬白 正家 正吉 

結衆 三十五人 道観」という造立紀年銘と連名が刻まれている。

 

 「野上下郷石塔婆」は仲山城主・阿仁和直家が落城の際に討死し、十三回忌にあたる

応安二年(1369)十月に、夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養のために建立した

ものである。

 

 なお応安という年号は北朝側の年号であることから、仲山城主・阿仁和直家は北朝

に属していたことが明らかである。

 

 明治25年(1892)、国道開通に伴って現在地に移されたものである。

 

 

 確かに普段良く目にする板碑に比べて大きい。板碑好きならば一見の価値はあろう。

 

 長瀞秩父に向かう街道沿いにあり、史跡案内看板も大きいので見逃すことはないで

あろうが、「あっ」と通り過ぎてしまうかもしれない💦

 

 (参考資料)

  新・長瀞ひとり歩き-文化財・名所をたずねてー  長瀞町文化財保護審議会

  現地案内板

代官遺跡(埼玉県大里郡寄居町)

 

  【 代官遺跡 】         評価 ★

 

     別  名:

     所  在  地: 大里郡寄居町用土340

           築城年代:  江戸時代中期

     築  城  者:    

     区  分:           代官所

     現  状:   宅地・耕地

 

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 江戸時代中期(1700年前後)、旧榛澤郡用土村124石を知行した水上美濃守の

代官所である。

 

 水上美濃守は郷代官として小渕勘右衛門次義を任命し、知行地の年貢取りまとめや治

安取り締まりなどの権利を与えている。

 

 小渕氏はその後、富之進次喬・奥右衛門次春の三代にわたり郷代官として任用されて

いる。

 

 小渕家には現在も代官所書院の一部や天和年間(1681~1684)から明治初年

(1868)に至る代官文書を中心とした古文書が伝来しています。

 

 

 これまで気が付かなかった代官所。ふと普段は直進する道を曲がってみたところ、史

跡案内板を発見。

 

 案内板を見ると・・・、代官所跡ではないかぁ💦💦

 

 う~ん。やはりあちこち探ってみるものだなぁ。現在もお住まいのようなので遠目か

ら観察。私有地への立ち入りは控えなければなりませんからね。

 

 でも、案内板があることで代官所跡と気づけたのだから良しとしましょう(^^♪

 

 (参考資料)

   現地案内板

残すは資料の取りまとめ!

 

 昨夜、長きにわたり執筆していた『卒業論文草稿』本文及び註&引用・参考文献リス

トが完成しました(^^♪

 

 本文は19頁。自分なりにまとめあげたんですが・・・、ちょっとしっくりこない点

も多々あります(>_<) 

 

 でも提出期間まで1週間を切りましたから、ホッと一安心。

 

 残すは本文資料の取りまとめ!!スキャナーで画像の取り込みはしてみたものの、さ

て編集どうすればいいの💦

 

 編集のやり方を学ばねばならないかなぁ(+_+)

 

 でも提出期間に間に合わないなんてことも考えられるし、今回は手作業で取りまとめ

ようかなぁ💦

 

 その前に、最終的な推敲して誤字ないようにしなければ。今夜は推敲で終わりそうか

なぁ(>_<)

 

 提出要綱も再度確認して、ファイルの表紙や背表紙付けたり。論文草稿提出するには

細々とした作業(でも決して怠ってはならない作業)も必要ですし。

 

 「完成したぁ」と一応の歓喜の叫びをあげられる日は、もぅ間もなくです(^^♪ 

中林城跡(群馬県高崎市)

 

  【 中林城跡 】         評価 ★★

 

     別  名:

     所  在  地: 高崎市吉井町馬庭字中林795

     築城年代:  

     築  城  者:    

     区  分:       平 城

     現  状:      宅地・耕地

 

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                ( 主郭部を望む )

 

 古墳・中世城館跡・中世宝塔などが含まれた複合遺跡「中林遺跡」の地元で「地四郎

大明神」と呼ばれる宝塔のある場所が「中林城跡」の主郭にあたる。

 

 北側にある山は物見であるが、そちらは今回確認していない。

 

 東西は沢を利用した天然の堀を形成している。西南隅の土塁は高さ約2mが残存し、

堀跡も確認出来る。

 

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 また北側にも一部ではあるが、土塁を確認できる。

 

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 築城年代、築城者など城の詳細な歴史は不明であるが、文和2年(1353)、足利

尊氏は多胡庄の所領没収を佐々木道誉に命じているが、多胡領主・多胡氏(あるいは金

沢氏)をはじめ、神保・小串・瀬下・馬庭の各領主はこれに激しく抵抗し、佐々木勢を

撃退したとされる。

 

 先に述べた宝塔は南北朝期のものであることから、「中林城跡」は南北朝時代に構え

られ、その後も活用されたのであろう。廃城時期も不明である。

 

 

 「中林城跡」の立地を考えた際、鏑川河川交通の監視という役割を果たしていたので

あろう。基本的に要害性は感じられないことからも戦国期に活用されたとしても館とい

った感が強い。

 

 高崎市指定史跡であったにもかかわらず、これまで未踏査だった。民家横を通り抜け

る必要があり、私有地に立ち入らぬよう留意することが求められる。

 

 (参考資料)

    吉井町文化財ガイドブック       吉井町郷土資料館

    中世吉井の城館跡            吉井町教育委員会

    現地案内板

こんな日もあるかなぁ💦

 

 今日は予定では一日ゆっくりと『卒業論文草稿』に取り組もうと考えていたんです

が・・・💦

 

 お昼に久々にお酒🍶を吞んでしまい(>_<) すっかり予定が狂ってしまいましたぁ💦

 

 まぁ、ブログの更新もこの時間、しかも記事内容が日記という事実がそれを物語って

いますね(+_+)

 

 草稿提出期間は12日から19日なので、残り1週間。

 

 こんな日もあるかなぁ💦とは思いますが、この遅れは取り戻さないとなぁ(>_<)

 

 何としても『卒業論文草稿』提出しなければなりませんからねぇ(+_+)