日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

ストレスは溜まるいっぽう💦💦

 

 本日は多少仕事はあったものの、比較的落ち着いた1日となる(はず)であった。

 

 がっ、詳細は憚られるのでブログに書くことはしないが、あまりにストレスが溜まる

日となってしまった(+_+)

 

 生きていればこんなことは多々あるのが当然と言えば当然。

 

 でもねぇ。これだけは言いたい。某、何とか出来るだけのことは誠心誠意やっている

(つもり)。それが一片も伝わらない人もいるのも理解はしている。

 

 ふぅ。疲れる日々だよなぁ💦💦💦あまりにも理不尽な世の中だ~ぁ!!

 

 しばらくはよりストレス倍増の日々が続くでしょう。

 

 光明は必ず差し込むと信じて明日からも頑張ろうと思います(>_<)

文化財報道と新聞記者

 

 

 平成16年(2004)3月1日 第1刷発行     中村俊介

 

            吉川弘文館            ¥1,700+税

 

 田原本町古書店・エイワ書店さんに注文した一冊で、今後の論文の参考にもなりそ

うだったので。

 

 連日全国各地で文化財報道がない日はないのではないだろうか。発掘調査成果などを

新聞読者に伝える役割の一方で、報道の倫理が問われる報道もあることを伝える一冊。

 

 考古学会を揺るがした「旧石器遺跡捏造事件」や「聖嶽洞穴問題」についても触れた

一冊であり、文化財報道のあり方を伝えている。

 

 考古学(埋蔵文化財行政)に携わるものと報道との関係を深く考えさせられる内容で

あり、読んで損はない一冊である。

今週末も緊急告知!!

 

 今週末も全国各地で発掘調査現地説明会が目白押し!!最近、緊急告知が多いなぁ💦

 

 先ず、明日6/25(土)。

 

  京都府上京区上売立通新町「同志社大学新町キャンパス」10:00~12:00

   室町時代の大溝(持明院殿に南面する大路に沿ったもの)検出

 

                  入場無料で事前申し込み不要です。 

 

 明後日6/26(日)には・・・、

 

  東京都国分寺市泉町2-102-9(国分寺市役所新庁舎予定地)

          10:30~15:00 

   日本国有鉄道中央鉄道学園で使用されていた鉄道の軌道跡

 

 

 以上、ニヶ所ではありますが、貴重な遺構を間近で確認できる機会ですので、興味を

お持ちの方は是非お出かけ下さい。

はぁ(>_<) 凹むわぁ(>_<) ~ 今夏も在宅特別スクーリング実施~

 

 2022年6月22日(水)、奈良大学通信教育部事務局から今夏も在宅特別スクー

リング実施との発表があった。

 

 

 以前と比べてコロナ感染に関しての報道も減少し、スポーツ観戦や講演会等の大規模

イベントもマスク着用等感染防止対策を行いながら実施され、ツアー限定とはいえ外国

人観光客の受け入れも開始、さらに県民割等を利用しての国内旅行も実施されようとし

ている。

 

 以前とは異なり、コロナワクチン接種も3回終了した人(4回目の接種券も届き始め

ている)も増加しており、状況は変化しているのだが・・・。

 

 様々な地域から多くの通信教育生が集結してくるのだから、大学の決定はわからなく

もない。感染リスクが高まることも事実だろう。

 

 がっ、正直な気持ち。今夏はスクーリング講義開催を望んでいた。

 

 既に世間は「Withコロナ」へと気持ちが変化している。人々はマスク着用はもと

より感染防止対策を日々続けている。ワクチン接種もスクーリング受講のためにしてい

る人が多いだろう。

 

 この決定を受けて、休学あるいは退学の選択をする人も中にはいるかもしれない。

 

 「大学の決定を理解する気持ち」と「また今夏もかぁ」という凹む気持ち。ぐちゃぐ

ちゃした気持ちはあるものの、2年堪えて来たのだから、今冬にはスクーリング講義を

開催するという大学の英断を待ちたいと思っている。

今宵も事務処理に勤しむ💦

 

 今日も1日バタバタしており、ブログ更新がこの時間に(+_+)

 

 仕事は一段落したものの、明日までにやらなくてはならない事務処理が机上に残され

たまま(>_<) 

 

 この事務処理を片付けることが今夜の最優先課題(そう言いつつブログ更新していま

すが💦)

 

 史跡紹介や様々な情報の更新には多少のゆとりが必要💦

 

 手持ちの物件の多くは資料を確認しながら、記事を書きあげるような物件ばかり。

 

 こんな駄文でお茶を濁したくはないのですが・・・、中途半端な状況で更新したくは

ないんですよねぇ(>_<)

 

 仕事面でバタバタしている日々ですが、可能な限り有意義な情報更新が出来るように

努めます。あっ、でも今夜は事務処理最優先です!!

~ 気力は未だ余裕あるものの・・・身体が💦~

 

 え~っ、本日も仕事に事務処理に多忙を極めてブログ更新がこんな時間に💦

 

 気力自体は未だ余裕があり、短い時間でもやれることをやる気はありますが。

 

 実際のところ、身体は既に悲鳴を上げており・・・、行きつけの鍼灸整骨院で「過労

死レベル」だとか、「身体がパツパツ」だとか💦💦言われています(>_<)

 

 マッサージ受けつつ、悲鳴上げてますからねぇ💦💦💦

 

 最後に言われることは常に「しっかり休息を取ることです」って😢

 

 やることだらけだから、オフも予定入れてしまい休息は二の次になってますから

(+_+)

 

 しかしながら、今夜はさすがに体力が💦💦1時間くらいは早く就寝してみます(^^♪

明日のために!!

小松城跡(石川県小松市)

 

   【 小松城跡 】                             評価 ★★★

 

        別  名:    芦城 小松の浮城

     所  在  地:     小松市丸の内町

     築城年代:     天正4年(1576)

     築  城  者:                 若林長門

     区  分:                     平 城

     現  状: 石川県立小松高等学校・芦城公園

 

               ( 本丸櫓台石垣 )

 

 天正4年(1576)、加賀一向一揆衆の若林長門守によって築かれたとされる。

 

 天正7年(1579)、織田信長配下の北陸軍団長・柴田勝家によって攻略されて落

城🔥

 

 天正8年(1580)、織田信長家臣・村上義明が城主に任命されている。

 

 慶長3年(1598)、村上義明に替って、丹羽長重が入城するが、慶長5年(16

00)、関ケ原の戦いにおいて西軍に与した丹羽長重は転封となり、東軍に与した前田

利長の所領に組み込まれることとなった。利長は城代として義兄の前田長種を配してい

る。

 

 元和元年(1615)、一国一城令によって廃城となるも、寛永16年(163

9)、加賀前田家三代・前田利常は、幕府の許可を得て小松城を隠居城とし、全国から

名工を集めて御殿や茶室、石垣や縄張を再構築するなど大改修を行い、改修は利常が没

する万治元年(1658)まで続いた。

 

 その後、加賀藩城番が置かれ維持され、明治5年(1872)まで存続している。

 

 余談ではあるが、朝倉義景明智光秀に対し「要害はどこか?」と尋ねられた際、

「加賀にては小松あたり」と答えたと『明智軍記』に見られる。同様の記載は『小松軍

記』にも見られ、小松が要害の地であったことが窺える。

 

 

 本丸櫓台石垣は、石川県立小松高等学校敷地内にあるが、見学用の園路、パイプ階段

も設置されており、配慮されている。

 

 今回は時間の関係で芦城公園等を訪問出来なかったが、櫓台から見る白山麓は良い感

じでした(^^♪

 

 

 (参考資料)

    現地案内板