【 不動山古墳 】
所在地: 高崎市綿貫町1272-2
井野川下流域右岸には綿貫古墳群が存在している。
戦前は6世紀前半の前方後円墳・岩鼻二子山古墳(全長120m)があったのだが、大正年間(1912~1926)に陸軍火薬製造所をつくる際に削平されてしまい、今は見ることは出来ない。
現在では、綿貫観音山古墳・普賢寺裏古墳、そして「不動山古墳」が残されている。
不動山古墳は、全長98m、後円部径57m、後円部高9.8m、前方部幅54m、前方部高9.8mの二段築成の前方後円墳であるが、前方部と南周堀は土砂採取のために削平されてしまっている。
北側くびれ部には造り出しがあるのだが、そちら側は耕地であり近づくことがなかなか出来ない(私有地ですからねぇ…このご時世、なかなか侵入は憚られますからぁ💦)
また盾状周堀を有している。
不動山古墳は太田・天神山古墳の形状・規模の2分の1という相似形であり、太田との関係性があるのではないか?と思われる。
しかしながら、某の専門分野は城館跡ですからぁ💦いろいろと諸先生方のお話を拝聴して多少知識は得ようと努力していますがぁ。専門外ですからぁ。考察は控えたいと思います m(__)m
昭和37年(1962)から39年(1964)にかけて行われた発掘調査で、墳丘に葺石、中段平坦面に円筒埴輪列が検出している。
また造り出し部から和泉式高坏など土師器が、円筒埴輪列の溝からは鉄製U字形鋤先が出土している。
現在、古墳墳頂には不動尊堂が鎮座し、堂の裏手には…
凝灰岩製舟形石棺がある。
この石棺や、発掘調査で出土した遺物から、古墳の築造年代は5世紀後半と推定されています。
ここ「不動山古墳」の存在は小学生のころから知っていたし、2019年1月4日の初出陣で綿貫町を踏査したのであるが、ここは訪れていなかった💦
「これはしたり💦」である。舟形石棺があったとはぁ。
今回、小学生を含めた歴史好きの仲間との踏査で訪れてみたのだが、現地踏査はしっかりと行わなければならないことを痛感してしまった。
(参考資料)
日本古墳大辞典 大塚初重・小林三郎・熊野正也 東京堂出版
群馬の古墳を歩く 前原豊・小島敦子 みやま文庫
現地案内板