【 兵庫山古墳 】
所在地: 奈良市宝来町字堂垣内
垂仁天皇菅原伏見東陵(宝来山古墳)の北西約200mに位置し、飛地陪塚い号として宮内庁に治定されている。
東西約40m、南北38.4m、墳高約5mの二段築成の円墳。
奈良時代、兵庫山古墳南側を平城京三条大路が通っていたことから、三条大路は兵庫山古墳によって狭められていたものと推測されています。
元禄期(1688~1704)以後には、菅原伏見西陵(安康天皇陵)と考えられていた時期もあった。また、田道間守墳墓とされていた時期もありました。
江戸時代には牛頭天皇社、明治42年(1909)までは須佐之男命を祭神とする兵庫山神社が祀られていました。
宮内庁によって管理=発掘調査不可ってな感じですから、具体的な築造時期など考古学的なことは???
また、なかなか「兵庫山古墳」に関する資料も見当たらず…💦💦💦
かつて天理市や桜井市を踏査した際もそうであったが、歩けば古墳に当たるのは奈良市も同じ。そりゃあそうですよね。古墳群ですからぁ💦💦💦
(参考資料)
橿原考古学研究所公式HP