【 渡柳弥五郎清忠館跡 】 評価 ★
別 名:
所 在 地: 行田市渡柳563-3
築城年代: 平安時代末期
築 城 者: 渡柳弥五郎清忠
区 分: 館
現 状: やなぎ幼稚園・本性寺
渡柳氏の出自については定かではない。
平安時代末期、渡柳弥五郎清忠によって構えられたとされる。
『平家物語』に、「義経に従ふ渡柳弥五郎清忠」と記され、『源平盛衰記』にもその名がみられる。
鎌倉時代末期、清忠は北条仲時に従い六波羅探題に出仕しており、赤松円心ら討幕軍に攻められ討死したともされるが、あまりに時を経た話であることから清忠の子孫であろう。
天正18年(1590)『成田分限帳』には渡柳監物の名があるが、清忠の末裔なのか?別の系統の武士なのかは不明である。
「内郷遺跡」として発掘調査が行われた際、平安時代のものと思われる遺物と溝(堀か?)が出土検出したという。
発掘調査報告書を見てはいないので、はっきりしたことはわからないが…本性寺・やなぎ幼稚園付近に館は構えられていたと推察できる。
現在、遺構は残されておらず、館がいつごろまで使用されていたのかは定かではない。
(参考資料)
日本城郭体系 5 埼玉・東京 新人物往来社