【 洗心亭 】
所在地: 高崎市鼻高町290 少林山達磨寺境内
大正時代、碓井郡八幡村(現在の高崎市八幡町)の産業組合の指導に来村した東京帝国大学(現在の東京大学)教授・佐藤寛治氏の別荘として建築されました。
木造平屋建て瓦葺の6畳・4畳半二間のこじんまりとした建物である。
ブルーノ・タウトがナチスドイツの迫害を避けて、昭和8年(1933)5月、敦賀に上陸。その後、京都・仙台など各地を転々とした後に、昭和9年(1934)8月、この地の名士である井上房一郎氏に招かれて高崎に落ち着くこととなりました。
その際にタウトが居したのが、洗心亭である。
高崎での事績としては、井上工業が制作していた工芸製品のデザイン、制作指導を行ったほか、『日本文化私観』・『日本の家屋と生活』・『建築芸術論』などの著書を執筆しています。
少林山達磨寺住職・広瀬大虫老師の好意によって、昭和11年(1936)10月、トルコに去るまでの2年3ヶ月をこの地で過ごしています。
ブルーノ・タウトは世界的にも著名な建築家として知られていますが、地方都市である高崎の歴史にも関わっていることをもっと認知してもらいたいものですね。
(参考資料)
現地案内板