日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

仁治の碑(群馬県富岡市)

 

  【 仁治の碑 】

 

   所在地: 富岡市下高尾15

 

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 明治初期、近所の石橋に転用されていたものを、当時の県令・楫取素彦が現在地に移して保存しています。

 

 石材は緑泥片岩で、高さ276cm、最大幅96cmであり、群馬県内では最大の板碑であり、武蔵型板碑として定着化する以前の不定型で自然石に近い形状である。

 

 上部には、密教系の信仰による金剛界五仏大日如来阿弥陀如来・不空如来・阿閃如来宝生如来)と薬師如来を表す梵字(キリーク)が刻まれている。

 下部には、仁治四年(1243)大歳癸卯二月二十六日と刻まれています。その下には造立者である、壬生・六人部・小野・藤原・春日・物部・大宅・安部等20数人の名が列記されています。

 

 これらの人々はいずれも当時この地域にいた有力者たちと考えられています。多くの人々が集まり造立した板碑は「結衆板碑」とも呼ばれます。

 

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 板碑は、鎌倉時代武蔵国で始められた供養塔の一種で、死者の冥福を祈る追善供養、生前の滅罪と死後の極楽浄土を願う逆修の風潮で造立されました。室町時代まで東国を中心に数多く造立されています。

 

 甘楽富岡地域は、板碑造立の気運を群馬県内でもいち早く受容した地域であり、武蔵武士団との関わりが強かったと考えられています。

 その後、この地では「小幡型板碑」と呼ばれる独特な板碑が造立されています。

 

 この「仁治の碑」。長らく訪れなきゃと思いながらも訪れていなかった。近くを走る県道から「あっ、あそこにあるんだ」と眺めていた程度であったのだが、ふと訪れてみることとなった。

 碑の近くにはわずかな時間であれば駐車できるスペースもあるので、板碑マニアは是非訪れてもらいたい。

 キリークや仁治の年号は読み取れるが、その下部に刻まれているという造立者の名は・・・💦読めない💦💦

 

 (参考資料)

   富岡市文化財          富岡市教育委員会

   現地案内板