日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

泉屋敷址(長野県佐久市)

 

   【 泉屋敷址 】     評価 ★

 

   別  名:

   所  在  地:     佐久市桜井

   築城年代:   平安時代末期?

   築  城  者: 桜井太郎・次郎?

   区  分:       屋 敷

   現  状:     耕   地

 

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 『角川日本地名大辞典』によれば、平安時代末期に木曽義仲に従った桜井太郎、桜井次郎の住居と伝える館跡であるとされる。

 

 桜井氏は、滋野一族で、木曽義仲軍の佐久党の中心人物である根井大弥太滋野行親をはじめ、海野・弥津・望月など滋野一族とともに義仲に従っている。楯六郎親忠も根井行親の子で同族になる。

 

 『平家物語』、『源平盛衰記』にも桜井太郎、桜井次郎の名は出てくるものの、その活躍の様子は記されておらず、その後のことは不明である。

 

 中世、桜井郷は佐久郡伴野庄内にあり、戦国期に入ると、『諏訪御符札之古書』享徳4年(1455)御射山項に、「一桜井伴野代官鷹野中務満吉御符札三貫三百文御教書之札同前頭役十五貫」とある。

 

 寛正6年(1465)には、伴野桜井代官中務満吉。

 

 文正2年(1467)には、桜井入道沙弥道清。

 

 文明4年(1472)には、伴野桜井鷹野中務入道沙弥道中子息鷹野又五郎橘棟吉。

 

 文明12年(1480)には、伴野桜井鷹野美濃守満守。

 

 長享2年(1488)には、伴野桜井代官土佐守棟信、丹後守棟清とあり、桜井氏の支配ではなく、伴野氏代官として鷹野氏がこの地を支配していたようである。

 

 天正6年(1578)の『上諏訪大宮造宮清書帳』によれば、代官として八郎右衛門尉の名がみえる。

 

 「泉屋敷」がいつ頃廃されたのかは不明であり、屋敷が桜井一族が継承していたのか?伴野氏代官鷹野氏が居た場所が「泉屋敷」であったのか?不明な点が多い屋敷址である。

 

 

 屋敷址は写真のように耕地であり、遺構は残されていない。しかしながら、微高地であることは理解できると思う。

 

 (参考資料)

    信濃の山城と館 1 佐久編    宮坂武男 著   戎光祥出版