【 胴塚稲荷古墳 】
所在地: 藤岡市岡之郷字原835-2
神流地区に分布する古墳の中で、最も北東端に存在する。
墳径14m、墳高2.2mの円墳であるが、築造年代は不明。かつて、古墳に副葬された直刀や人骨が発見されたと伝えられています。
墳丘上には「胴塚稲荷神社」が祀られています。
天正10年(1582)6月、本能寺の変で織田信長が横死し、その混乱は当然関東へも波及しています。
信長から上野國一国を与えられ、厩橋城主であった滝川一益は、本能寺の変を知ると急ぎ本拠である伊勢へ戻ろうとしますが、そこに後北条軍が攻め寄せます。
一益は上野・武蔵国境の金窪でこれを迎え撃ち、神流川の河原で激戦が繰り広げられます。世に名高い「神流川の戦い」です。
結果・・・一益は敗れ、上野國は後北条氏の手に落ちました🔥
伝説によれば、夏の戦であったことから、死体が腐敗して異臭が激しく、この地の人々が後北条方によって実験された首と、胴の部分をそれぞれ別の場所に集めて埋葬したとされます。
胴を埋めた場所=「胴塚」であり、それを祀ったのが「胴塚稲荷神社」というわけです。
古墳という感はあまり感じられず、神流川の戦いの古跡として訪れた方が良いかもしれませんね。
場所も民家裏にあり、付近に駐車スペースはないのが訪れる際の難点💦💦
(参考資料)