【 首塚 】
所在地: 高崎市新町1998-2
天正10年(1582)、本能寺の変が勃発したことで関東も大混乱となった。
北条氏政は混乱に乗じて上州を手中に収めようと鉢形城主・北条氏邦らに出陣🏇を命じ、神流川に布陣した。
織田信長の配下で厩橋城主・滝川一益は上州の諸将を率いて、軍配山へ布陣。
両軍は神流川を挟んで戦となった。世にいう「神流川の戦い」である。
一益らは奮戦するも、厩橋入城から一月余であり、大敗北を喫することとなり、上州の大半は北条方の手に落ちた。
「首塚」は、北条方との戦いで討死したものの首実検の後に、首を一か所に集めて墳墓とし、無縁の霊を祀り石祠を設けたとされる地である。
この宮は、首から上の病に奇効があり、脳の病・精神病・歯の病に苦しむ人の参詣が多く、丑三時(午前二時頃)に誰にも知られることのなく参詣するのが良いとされます。
この効果は、神流川の戦いで討死した者の霊が病に悩める人々を苦しみから救うのだと言い伝えられています。
毎年四月三日には祭礼が地域の人々によって今も執り行われています。
ここも「神流川の戦い古跡」と言ってよいでしょう。なかなか訪れる人も少ないでしょうが、本能寺の変の後の戦国史を語るうえでは欠かせない史跡だと思います(^^♪
(参考資料)
現地案内板