【 伊勢塚古墳 】
所在地: 藤岡市上落合字岡318
墳丘は当初円墳と考えられていたのであるが、昭和62年(1987)、範囲確認調査が行われ、墳丘径27.2m、墳丘高6m。地山を削り出した基壇の上に二段の葺石を築き、さらに一段追加した構造の不正八角形墳と推定された。
南に開口する両袖型横穴式石室は、全長8.94m、玄室長4.7m、玄室奥幅1.84m、玄室中幅2.41m、玄室前幅1.54m、羨道長4.24m。
「伊勢塚古墳」は石室の石積みに特徴があります。
玄室は流麗な曲線を描く胴張り型を呈し、珪岩の転石(河原石)を中心に結晶片岩製の棒状の石を配した模様積みで、舟底のように丸みをもった大きな天井石をドーム状の壁体で支えた構造となっています。
模様積石室は、藤岡市周辺から埼玉県児玉郡周辺の横穴式石室に採用されています。
羨道と玄室を仕切る玄門の袖石(立柱石)が両脇に立ち、玄門上部には擬似楣が架設されています。
石室は古くから開口していたために、副葬品は不明ですが、発掘調査で出土した須恵器や埴輪から6世紀後半に築造されたものと推定されています。
さて、「伊勢塚古墳」見事な石室が最大の見どころですが・・・、基壇工法が用いられていることから、当時の最新技術を導入して築造された古墳であることがわかります。
石舞台古墳と飛鳥寺、宝塔山古墳と山王廃寺(放光寺)といった具合に寺院建築の技術が古墳築造に転用されていることから、「伊勢塚古墳」も同様なことが推測されます。
さて、この寺院がぁ問題ですねぇ💦最近発掘調査で発見された「牛田廃寺」は距離的に遠い気もするし・・・。
こうしたことを検討していかなければなりませんねぇ💦💦
※コメントにも記載しましたが、群馬県立歴史博物館館長・右島先生から直接御教示
頂き、「伊勢塚古墳」は6世紀後半に築造されていることから、直接的に仏教、寺
院とは関係はないと考えられるとのこと。
群馬県では、上述した宝塔山古墳と山王廃寺(7世紀)が古墳と仏教・寺院との関
係が考えられる最古のものとのことです。
訂正するとともに、御教示下さいました右島先生に心より感謝申し上げます
m(__)m
(参考資料)
現地案内板