日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

元ロシア人兵士の墓(群馬県高崎市)

 

  【 元ロシア人兵士の墓 】

 

   所在地: 高崎市若松町85-1 龍廣寺境内

 

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 明治6年(1873)、高崎城内に東京鎮台高崎分営第9大隊が設置され、高崎は軍都と称されるようになる。

 

 明治17年(1884)、第1旅団所属第15連隊が新設され、明治27年(1894)、日清戦争、明治37年(1904)、日露戦争に参加し多くの犠牲者が出ています。

 

 さて日露戦争の際、多くのロシア人兵士が捕虜となり、日本国内各地に収容されました。

 高崎においては、龍廣寺をはじめ市内の寺院に五百数十名の捕虜が収容され、龍廣寺には10名が収容されました。

 

 うち傷病兵であったニコライ・トカチューク(享年26)、ステパン・シュレノーク(享年22)、サムプソン・メルニチュンコ(享年29)は療養の甲斐なく死去したので、陸軍墓地であったこの地に埋葬された。

 

 第二次世界大戦中、破壊される恐れがあったことから、地下に埋めて隠されたこともありましたが、昭和51年(1976)、龍廣寺住職・日ソ親善協会高崎支部など関係者の協力によって現在の姿に改修されています。

 

 地面に伏せられた西洋式の平板な3基の墓碑は、台上に東向きに安置され、墓石面には上部にロシア語で銘文が記され、中央に大きな十字架が彫られ、左右には日本語で彼らの所属部隊・階級・年齢・没年が刻まれています。

 

 

 「元ロシア人兵士の墓」は軍都高崎の面影を今に伝える史跡ですが・・・、今ではすっかり忘れ去られたように感じます💦

 明治以降の歴史を学ぶことは、これからの日本の将来を考える上で非常に重要ですね(^^♪

 

 (参考資料)

   高崎の文化財         高崎市教育委員会

   現地案内板