【 五輪塔覆堂 】
※ 内部見学には事前に大和郡山市教育委員会(0743‐53‐1151)への連絡が必要です。
天正12年(1584)、病を押して出陣したことが祟ったのか、36歳の若さで筒井順慶は居城であった大和郡山城内で病没。
順慶の亡骸は奈良市の円証寺へ埋葬されましたが、その後長安寺墓所へと改葬されました。
御廟所と呼ばれ、後に西寺という寺が建立され、廟所は守られていたようです。
覆堂は十尺四方の一間堂であり、本瓦葺宝形造り。柱の間に貫をわたして板塔婆を目透かしに打ち付け、内法長押は連子窓。軒は一軒の疎垂木。東側に戸口を設け、引き違いの格子戸を付け、他の三方には五輪塔形に刻んだ角材を建てています。
建物内部には筒井順慶を供養する五輪塔や一周忌に寄進された石灯篭が残されています。
五輪塔には、「順慶陽舜房法印三十六歳、干地入滅天正十二季甲申八月十一日」との刻銘が残されています。
今回、見学することは事前に決めていたのですが、時間が読めない(群馬からですからねぇ💦)ことから内部見学は断念💦💦
外部から垣間見するにとどまりました。どんな大きさの五輪塔なのか?今後機会があれば・・・見てみたいと思います。
(参考資料)
現地案内板