日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

菅原東遺跡埴輪窯跡群(奈良県奈良市)

 

  【 菅原東遺跡埴輪窯跡群 】

 

           所在地: 奈良市横領町403-2ほか

 

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 平成2年(1990)、発掘調査によって古墳時代後期の埴輪窯6基が発見されました。

 菅原東遺跡のある丘陵全体が古墳時代前期の集落遺跡であり、丘陵両端を溝で区切って区分しており、さらに中央に溝で区切った方形区画を配している。

 埴輪窯は、丘陵端と区画溝を利用して築かれていました。

 

 窯の天井部は奈良時代に削平され残存しておらず、内部に堆積した土からは何度も床面をならし補修され使用され続けたことが明らかとなっています。

 窯の周囲に廃棄された埴輪は焼成に失敗したものであり、円筒埴輪が大部分を占めていました。若干ではありますが、馬・家・鳥・武器といった形象埴輪も出土しています。

 

 埴輪の胎土分析から、秋篠川を利用して天理市域の古墳(星塚古墳群・岩室池古墳など)に運ばれたと推定されています。

 

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 この地は古代より菅原邑と呼ばれ、野見宿禰を先祖とする土師氏の子孫が居住していたとされ、『日本書紀』垂仁32年7月6日条には、「野見宿禰が皇后日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを進言した」ことが記され、これが埴輪の起源とする説話が残されています。

 

 野見宿禰は出雲より土部100人を呼び寄せたとされ、この功績によって「土師」の姓を天皇から賜わり、一族は土師氏を名乗り、葬送関係の諸事を司ったとされます。

 

 『続日本記』には、天応元年(781)、土師古人ら土師一族15名が居住地である大和国添下郡菅原邑に因み、菅原姓への改姓を願い出て許されたことが記されており、のちの菅原道真は土師氏出身ということがわかります(^^♪

 

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 現在は「菅原はにわ窯公園」として遺構の一部が展示され、埴輪のレプリカもあります。

 

 講演会で遺跡を知り現地踏査してみましたが、あまり訪れる人もいないのかな💦っていうか知られていない?

 

 考古学を学ぶものであれば、多くの遺跡にも足を運んでもらいたいものです。ブログに書くことで、より多くの人々にもこうした遺跡に興味をもってもらいたいですね(^^♪

 

 (参考資料)

   現地案内板