日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

前山伴野館跡(長野県佐久市)

 

  【 前山伴野館跡 】             評価 ★

 

    別  名:

    所  在  地:    佐久市前山居屋敷

    築城年代: 文明年間(1469~1487)

    築  城  者:      伴野光利

    区  分:                 館

    現  状:        グラウンド・宅地

 

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 鎌倉時代初期、小笠原氏が伴野庄の地頭に任じられ、伴野氏を称して野沢(野沢城)に居していたが、隣庄の大井氏との抗争が次第に激しくなったことから、文明年間(1467~1487)、伴野光利は要害の地である前山に城を築き移ったとされる。

 

 この時の根小屋が「前山伴野館」であるが、はっきりした記録はなく場所は確定できないが、旧前山小学校からその南に居屋敷という小字が残されていることから、この辺りだと推測されています。

 

 伴野氏は弘安8年(1285)、安達泰盛一族が滅亡した霜月騒動連座して惣領家は滅亡💦💦庶流から前山伴野氏が出たという。

 

 天文9年(1540)5月、武田信虎の佐久侵攻の際に攻略されるも、天文17年(1548)、上田原の戦いで武田晴信村上義清に敗れると、伴野氏は武田から離反するも、間もなく鎮圧されている。

 

 これ以後、伴野氏は武田麾下となるのだが、天正10年(1582)、武田滅亡後の天正壬午の乱で北条氏に属した伴野氏は、徳川に与した依田信蕃によって前山城は攻略され、伴野氏嫡流は滅亡した。

 

 武田氏麾下時代から滅亡までの間、伴野氏は複雑な経緯を経ており、前山伴野館がいつ頃まで機能していたかは不明である。

 

 

 前山地区の城館跡はなかなか車では訪れるのが困難である💦💦どこか適当な場所に駐車してでなければ然程長くは止められないだろう。

 

 (参考資料)

    信濃の山城と館 1 佐久編     宮坂武男 著    戎光祥出版