日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

糸井神社(奈良県磯城郡川西町)

 

  【 糸井神社 】

 

            所在地: 磯城郡川西町結崎68

 

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 延長5年(927)に編まれた『延喜式神名帳』に、「大和国城下郡 糸井神社 靱」と記された式内社であり、古くは結城大明神と呼ばれ地域の信仰を集めていた。本殿は江戸時代に春日大社から移築されたもので、春日造檜皮葺。

 

 享保19年(1734)に記された『大和志』には、「糸井神社 鍫 結城市場にあり、今春日と称する」とある。

 

 大正3年(1914)に記された『大和志料』には、式内社糸井神社縁起が掲載されており、「呉国より綾羽・呉羽と云ふ織女来りて、河内国丹比野に蚕を飼ふことはじめ給ふて、織女、天皇の勅掟をこうむり大和の黒田廬戸の宮の辺りにて始めて綾織を織らしむ。是を機織殿といふ、亦結崎の明神或は絹引神とも申すなり」とある。

 

 記紀応神天皇38年条には、「春2月1日、阿知使主・都加使主を呉に遣わして、縫工女を求めさせた。・・・呉の王は縫女の兄嬪・弟嬪・呉織・穴織の四人を与えた。」とあり、応神天皇41年条に、「阿知使主らは呉から筑紫に着いた。そのとき宗像大神が工女らを欲しいと言われ、兄嬪を大神に賜った。・・・あとの3人を連れて摂津国に至り、武庫についたときに天皇崩御されたので、この女たちを大鷦鷯尊奉った。」とある。

 

 創始については諸説あり判然としないが、結崎や糸井といった地名からも糸(機織り)に関連した氏族が祀った神社と推測され、古代この地には糸井造が居したとの伝承があることからも糸井造一族が祀ったものと考えられるのではないか。

 

 糸井造は新羅からの渡来氏族とされ、綾織りの技術をもって朝廷に仕えたという。

 

 

 記紀の世界も奈良大学通信教育部に在学するようになってから興味を持つようになり、踏査できるならば踏査しておこうと立ち寄った。

 足の疲れを境内で癒して、限界に近づいていたことからその後の踏査は取りやめて、結崎駅に向かったことを思い出す。

 この踏査以降、新型コロナウイルスが猛威を振るい、活動は自粛しているが一日も早い平穏な日々を取り戻したいものである。

 

 (参考資料)

    観光パンフレット なら記紀・万葉名所図会-日本書紀・旅編- 2018

    現地案内板