【 剣崎長瀞西古墳 】
所在地: 高崎市剣崎町1351
円墳との見方もあったが、平成10年(1998)の発掘調査では、幅3mの周堀を巡らす直径約30mの帆立貝形古墳であることが明らかになっている。
周堀底葺石最下段では直径67mで二段築成。周堀から多数の円筒埴輪が出土したことから、一段目のテラス外周には円筒埴輪が立ち並んでいたと推定される。
また、南側テラスからは家形埴輪が1基据えられた状態で出土している。
墳頂部の主体部は、ほとんど壊されていたことから、その規模・形態は不明。テラス部分の主体部は、円礫で1m×1.5mの方形区画の中心に長さ0.9mの竪穴式小石槨が築かれていた。ここは未盗掘と推定され、外観調査後に、そのまま保存されている。
こうしたことから、主体部は竪穴式石室と推測されている。
昭和7年(1932)、墳頂部の開墾中に銅鏡や鉄製短甲とともに、多量の滑石製模造品(勾玉・臼石・鏡形模造品・斧・鎌・刀子など)が出土しており、それら出土品から5世紀後半に築造されたものと推定される。
出土品は東京国立博物館で保管されています。そ~いえば、見に行ったことないなぁ💦
本墳の東側には「剣崎長瀞西遺跡」があることから、馬産に関わった朝鮮渡来人に関わる古墳であるとの見方が有力視されています。
考古学で重要な発見となった「剣崎長瀞西遺跡」。隣接する「剣崎長瀞西古墳」は良好に保存されたのが救いか。
韓式土器の出土や埋葬された馬骨の発見など、地域史を考える上でも重要だったのだが・・・今では見る影もない💦💦
周囲には「若田原古墳群」や「八幡観音塚古墳」、八幡観音塚古墳出土品を収蔵している「観音塚考古資料館」もあるので、是非まとめて見学されることをお勧めします(^^♪
(参考資料)
群馬の古墳を歩く 前原豊・小島敦子 みやま文庫
現地案内板