【(伝)権田栗毛終焉の地 】
寿永3年(1184)、一ノ谷の合戦で勇名を馳せた熊谷次郎信実の乗馬が権田栗毛である。
余命幾ばくも無くなった権田栗毛を信実は生まれた土地である権田村で過ごさせるため放ち、権田栗毛は権田まで辿り着くも懐かしい生家は既になく、落胆して引き返す途中、この地で力尽き、最後を遂げたという伝説が残されている。
群馬は古来より馬産地として知られ、信実も家来に命じて名馬を探し求めさせました。そして権田村で栗毛の名馬を見つけ愛馬として数々の戦に臨んでいます。
戦で傷を受けた権田栗毛を信実は自らの母衣を包帯代わりにしたとされます。権田栗毛は愛されていたんですねぇ。
実はこの先に祠があったり、権田栗毛の枕石ってのがあるんですが・・・、帰り掛けの駄賃で立ち寄ったので(路駐したから気になるのと、小雨☔降っていたので💦)こちらは訪れたら加筆します。
伝説自体が権田栗毛を一人称で扱っており???ですけれども、ここは信じましょう(^^♪
源平合戦の勇者・熊谷次郎信実との所縁の地としてご紹介したかったのでね(^^♪
(参考資料)
現地案内板