【 水沼弥生時代住居跡 】
所在地: 高崎市倉渕町水沼字中郷1316-3
昭和19年(1944)1月、群馬大学(当時は群馬県師範学校)・尾崎喜左雄教授らによって発掘調査が開始され、昭和43年(1968)第七次調査まで行われています。
※ 昭和19年(1944)、昭和22年(1947)
倉渕村中学教諭・関茂も調査に参加 1~3号A住居址検出
昭和23年(1948)
昭和42年(1967)、昭和43年(1968)
群馬大学学生、地元小・中学生も参加
烏川西右岸段丘上にある弥生時代後期の遺跡であり、八戸の住居址が検出され、群馬県内初となる弥生時代集落跡の一部が検出した遺跡として知られています。
二号住居址は一辺約4m四方の竪穴住居で、甕・壺・高坏・甑・鉢などが出土し、型式学上では後期樽式土器に分類されるものである。
三号住居址からは鉄製鏃も出土したほか、2つの砥石も出土した。このことから、この時期には鉄器がもたらされていることが明らかとなった。
この他、糸を紡ぐ紡錘車も出土し、地域の生活の一端が垣間見える。
当時の水沼一帯は湿地帯であり、沼地を利用した水田が営まれていたと推測されている。烏川や山林もほど近いことから、狩猟・漁撈も行われていたであろう。
一般的に弥生時代は農耕が開始され定住していたとの理解がなされるのだが、この集落では農耕・狩猟・漁撈といった役割分担が行われていた可能性も考えられるのではないだろうか?
農耕だけでは生活が安定するような状況ではない地域であったのではなかろうか?
(参考資料)
平成25年度前橋・高崎連携事業文化財展 東国千年の都 配布資料
現地案内板