日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

百々万遍供養塔(群馬県北群馬郡榛東村)

 

  【 百々万遍供養塔 】

 

        所在地: 北群馬郡榛東村長岡

 

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 文化6年(1809)、江戸日本橋の商人をはじめ地方有力者の賛助を得て、行者仏任が恩師である吾妻郡川戸村(現在の東吾妻町川戸)善導寺・前住職瑞忍和尚の菩提と生家である豊田氏先祖代々の仏果・家内安全・除災来祥祈念のため、百々万編の念仏を奉唱し終えた証に建立した。

 開眼には江戸渋谷宝泉寺住職の南溟を導師として迎えている。

 

 高さ4.8m、最大幅1.75m。切石を円形十層ほど積み上げた供養塔で、蓮台座に乗った直径62㎝、高さ75㎝、円筒形の塔身東面には阿弥陀如来像を彫り、西面には南無阿弥陀仏ほかの法号、仏語を刻んだほか、周囲全面に百三十七文字の梵字が刻まれている。

 

 往時は、供養塔の周囲に男女が集まり念仏を唱えながら、体を揺らし周回したという。これも一種のムラの集いであり、江戸時代では各村々で行われていた。

 

 今でいう逢引もしくは合コンで、こうした場所で出逢いカップル成立💓という流れだったんですわ💦

 詳細についてブログで書くのは少々憚られる内容(と書けばお分かりであろう)がこうした場では行われていたのです。

 

 明治初年(1868)からの廃仏毀釈によって塔は破壊されてしまうのだが、明治33年(1900)、長岡村中の寄進等によって再建された。

 

 

 現地案内板には注意が必要である。というより誤字じゃな~い💦

 

 百々万遍供養塔と記されるべきなのだが・・・、遍が偏りの「偏」って💦百遍も万遍も念仏唱えた証なんだから、何遍もの「遍」が正しいですよねぇ💦

 さらに供養塔の「塔」が「等」って明らかに誤字でしょ💦💦

 

 案内板設置の際に、行政が確認を怠ったのが良くわかる案内板になっちゃってますよぉ💦内容はしっかりと読めるからいい部分もあるけど💦

 

 道端にあった史跡に目を向けると様々なことがわかるもんですねぇ💦

 

 (参考資料)

   現地案内板