日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

足袋とくらしの博物館(埼玉県行田市)

 

 【 足袋とくらしの博物館 】

 

   所在地:   行田市行田1-2

   入館料: 大人 ¥200 小学生 ¥100

   開館日:     土曜日・日曜日

 

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 平成17年(2005)10月8日、埼玉県NPO活動本格化支援助成を受けて、NPO法人・ぎょうだ足袋蔵ネットワークが開館されています。

 

 元々は老舗足袋商店の「牧野本店」が大正時代後半に建設した工場を整備・改装したものです。

 

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               ( 牧野本店 表玄関 )

 

 明治7年(1874)、忍藩松平下総守家臣・牧野鉄弥太によって牧野本店は創業。明治維新直後の行田では、足袋商人に転身した武士が数多く居たようですが、成功を収めたものはごく僅かでした。

 

 牧野本店は成功を収め、明治32年(1899)以降には3棟の土蔵を建設するなど商売を順調に拡大しています。

 

 大正時代中頃には、白足袋の製造を開始し、大正11年(1922)には木造洋風の工場(これが「足袋とくらしの博物館」となっています)、足袋蔵を建設しています。

 

 牧野本店は電動ミシンを導入して設備の近代化を進め、店蔵(上の写真です)を建築しています。

 

 昭和初期には工場を二階建に建て増しして、現在の姿となりました。

 

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                                                       ( 工場二階の様子 )

 

 牧野本店は、力弥たびの商標を用い、主に青森・岩手など東北地方の呉服屋に足袋を卸しており、特に青森県八戸市では足袋=力弥たびと言われる程独占的に足袋を卸していました。

 

 しかしながら、昭和30年(1955)頃を境として足袋の需要は落ち込み始め、一時期は子供用ズボンやトレーニングパンツ等の製造も手掛けるなどしましたが、やがて足袋製造専業に戻りました。

 

 その後、問屋卸中心に、他社の足袋製造も引き受けて足袋生産を続けましたが・・・服装の洋風化に伴う足袋需要の極端な減少💦従業員の高齢化💦後継者不在💦という現在の中小零細企業同様の悪条件が重なったことで、平成17年(2005)4月をもって3代続いた牧野本店は永い歴史に終止符を打ちました。

 

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               ( 従業員休憩室 )

 

 某テレビドラマの影響もあって、行田=足袋のまちとのイメージも広まりつつある。現代の人にとって足袋は馴染みのないモノかもしれない。そもそもなかなか足袋を売っている店は身近に無い💦

 

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 「足袋とくらしの博物館」では足袋の製造&販売も行っています!!

 

 日本古来の文化の一つである足袋。行田市を訪れて買い求めてみるのか如何でしょうか(^^♪

 

 (参考資料)

    現地配付パンフレット