【 郷原自性寺の宝篋印塔 】
郷原自性寺山門脇に2基の宝篋印塔がある。
宝篋印塔は墓塔や供養塔として造られた石造物であり、大きく関東式・関西式に分類
される。
自性寺の宝篋印塔は関東式であり、相輪・笠・塔身・基礎の四石から成っている。
左側の宝篋印塔は、応永3年(1396)に造られたもので総高95㎝、多孔質安山
岩製。
塔身四面に月輪が刻まれ、その円内に胎蔵界四仏(阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就。
仏の名については異説も多い)が陰刻されています。
応永年間以降に流行した逆修塔の特徴が良く表れた宝篋印塔である。
右側の宝篋印塔は、嘉吉3年(1443)に造られたもので総高93㎝、多孔質安山
岩製。
基礎に「逆修敬白」「一結諸衆」の銘が刻まれている。
逆修という語は生前自分自身のため予め供養塔などを用意し、死後の冥福を祈ること
であり、一結諸衆という語はこの地域の土豪が結集することであることから、この地の
武士が結集して、一同の生前供養のために造った宝篋印塔であることがうかがえる。
上段の造り出しが高く、九輪も太く短くなっている特徴があり、戦国期の宝篋印塔へ
の移行期の宝篋印塔の特徴が良く表れている。
自性寺というと、地元の人は自性寺焼きを思い浮かべるのだが・・・、この宝篋印塔
は焼き物に負けず劣らず素晴らしいものであった。
ご住職もいらっしゃったので、御挨拶してゆっくりと宝篋印塔を観察させていただい
た。ご住職は新島襄先祖の墓等の場所も教えて下さり、本当にお優しい方でした(^^♪
この場をお借りして感謝致しますm(__)m
(参考資料)
現地案内板