東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭茶屋追分)を発祥の地とし、寛永年
間(1624~1644)頃に仏画として描かれ始めた。
当初は信仰の一環として描かれたものであったが、やがて世俗画へと転じ、18世紀
頃からは教訓的・風刺的な道歌を伴うようになった。江戸時代初期には、キリシタン弾
圧に対し仏教徒であるという隠れ蓑的な役割を果たしていた。
「大津絵」は江戸時代を通じて東海道大津宿の名物となり、文化・文政期(1804
~1829)、【大津絵十種】と呼ばれる代表的画題が成立し、護符としてのとしての
役割も提唱されるようになった。
藤娘=良縁、鬼の寒念仏=子供の夜泣き、雷公=雷除け、外法大黒=無病長寿、鷹匠
=五穀豊穣、座頭=倒れない、瓢箪鯰=水難除け、槍持奴=道中安全祈願、弁慶=火難
除け、矢の根男=悪魔退治など神仏や人物、動物がユーモラスに描かれ、道歌が添えら
れている。
松尾芭蕉「大津絵の筆のはじめは何佛」と、仏画が多かった初期大津絵の特徴が表れ
ている句が残されている。
初期は肉筆であったが、時代が下るにつれ合羽刷・木版画などを併用して大量生産が
行われ、現在も三井寺土産として人気を集めている。
今回ご紹介する「大津絵」は節分にあわせて飾ったもので、鬼が豆を投げる姿がユー
モラスなものになっています(^^♪