日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

住吉城跡(群馬県高崎市)

 

  【 住吉城跡 】        評価  ★

 

   別  名:

   所  在  地:  高崎市沖町字住吉

   築城年代:

   築  城  者:

   区  分:   崖端城

   現  状:   宅 地

 

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 在地国人・長野氏の居城である箕輪城と板鼻および室田方面を中継する交通の要衝で

あり、烏川・榛名白川の合流地点に位置する。

 

 箕輪城外防衛上に位置しており、高浜砦(坂上城)や本郷御門城と密接な関係を有し

ていたと推察されていることから、長野氏によって築かれた保塁の一つであろう。

 

 築城年代は明らかではないものの、城主として住吉玄蕃の名が伝わり、住吉玄蕃の居

城として機能していた可能性が高い。

 

 永禄8年(1565)、上野に侵攻した武田信玄を迎え撃った長野業盛勢はこの地で

軍勢を集結し、若田原の戦いに出撃したと推定されている。

 

 永禄9年(1566)2月、武田勢の前に高浜砦・御門城が落城すると、城代・清水

内記正景は箕輪への退路が脅かされたことから、城兵を撤退させる。

 

 その後、武田氏の前に箕輪城も落城🔥長野氏は滅亡し、住吉城も廃されたと思われ

る。

 

 住吉城跡は後世に河川改修(あるいは河川氾濫)によって原型を推定し難い💦遺構は

当然確認出来ないものの、清水内記の子孫によって立派な城址碑が建立されている。

 

 城址碑があるだけでも、訪れたという気になれるから城巡りというものは不思議であ

る。

 

 (参考資料)

  『新編 高崎市史』資料編3 中世Ⅰ     高崎市

  『群馬県古城塁址の研究』上巻        山崎一   群馬県文化事業振興会