【 郷原の妙義道常夜燈 】
文化5年(1808)、地元碓氷郡郷原村(現在の安中市郷原)を中心とした妙義講
の人々が、原市村(現在の安中市原市)に仮住まいしていた信州伊那郡手良郷野口村向
山民吉という石工に建立させたものである。
常夜燈の路盤の四面と笠の正面に十六弁の菊(八重菊)の紋章が刻まれている。これ
は妙義神社と同様の紋章である。また、塔身正面には白雲山、東面に文化五年戌辰四月
七日、西面に当所講中と刻まれている。
台石には是より妙義道と刻まれており、妙義神社参拝者のための道しるべとしての役
割も有していた。切石積の台座には妙義講中六十七名と石工の名が刻まれ、妙義山への
深い信仰心を示している。
元々は現在地より東50mの中山道から妙義道への入口にあったが、昭和60年(1
985)に現在地に移転している。
台座まで入れた総高は5m以上であり、壮大な常夜燈である。
国道18号沿いの道の脇に移転されており、車窓から常夜燈に気づく人は少ない。妙
義信仰を今に伝える史跡であるので、街道ウォーキングなどの際には是非足を止めても
らいたいものである。
(参考資料)
現地案内板