日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

八幡遺跡20号墳(群馬県高崎市)

 

  【 八幡遺跡20号墳 】

 

    所在地: 高崎市八幡町800ー144 高崎市観音塚考古資料館 敷地内

 

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 昭和62年(1987)、八幡住宅団地造成に伴う発掘調査で23基の古墳が検出し

た。八幡二子塚古墳の近くに位置していた「八幡遺跡20号墳」は、墳丘はすでに削平

されていたが、調査によって直径約12mの円墳で、埋葬施設は両袖型横穴式石室であ

ったことが明らかとなっています。墳丘の東側では周堀の一部が検出しましたが、埴輪

片は出土していない。

 

 石室の天井石は取り去られていたが、側壁や奥壁の下部は残存していました。南南西

に開口し、全長約3.8m、羨道幅約75㎝、長さ約1.8m、玄室幅1.25m、長さ約

2m。壁は川原石を用いた自然石乱石積で、床は10~20㎝の川原石を敷き詰め、玄

室には更に小玉砂利を敷いてあった。羨道と玄室の境には四石の川原石を並べて梱石と

しており、石室入口には三石の川原石が並べられていた。

 

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 玄室からは小刀、鉄製柄頭、鞘尻金具、刀子、鉄鏃、弓飾り金具、金銅製耳環、水晶

製切子玉、滑石製小玉などが出土し、石室入口前からは須恵器平瓶、提瓶、壺片が大量

に出土しています。

 

 その他、石室入口前西側には直径50㎝、深さ30㎝ほどの穴が掘られており、中か

らは須恵器高坏二個体、小型壺一個体が出土しています。

 

 出土品から、「八幡遺跡20号墳」の築造時期は七世紀前半と推定されています。

 

 八幡遺跡で確認された古墳の中でも、石室の残存度合いが比較的良好であったことも

あり、昭和63年(1988)、移築保存されることとなりました。

 

 

 遺跡の発掘調査は破壊が前提のようなもの。「八幡遺跡20号墳」のように残存状況

が比較的良好という理由で移築保存されることは珍しい部類に入る。

 

 地域の歴史を学ぶフィールドワークで学校教育に積極的に活用してもらいたいです

ね。「あなたが今住んでいる家の下に、この古墳があったんですよぉ」って言ったら驚

くんじゃないかなぁ?

 

 (参考資料)

   現地案内板