【 防空監視哨跡 】
所在地: 吾妻郡長野原町大字大津字上馬込
昭和16年(1941)、アメリカとの太平洋戦争が始まると、対空監視強化のため
に防空監視隊令が公布された。
群馬県でも防空計画を策定し、監視総本部を県庁に、防空監視隊本部を前橋・高崎・
渋川に設置した。そして、その下部組織として、県内に39箇所(あるいは44箇所)
の防空監視哨を設け、哨長以下数十名の哨員が監視にあたった。
長野原の「防空監視哨」は渋川本部に属し、国民高等学校を卒業した15~16歳の
青年が24時間体制で監視にあたっていました。
構造は煉瓦の二重積みで壕の縁がラッパ状になっており収音しやすい造りとなってい
る。聴音壕とも称され、敵機の音や種類をいち早く見分けて、本部に連絡することにな
っていました。
防空監視の任務というものは、敵機の飛来をいち早く偵知、発見することで、防空飛
行隊・高射砲隊等の戦闘準備を速やかに完了させること、そして空襲が予想される都市
の住民に灯火管制や空襲警報発出等の準備をさせるために、都市から遠く離れた場所で
監視にあたるものです。
長野原の「防空監視哨」は東京への空襲に備えて設置されたもの。群馬県内には長野
原の他、みどり市(旧東村)に残存しているのみの戦争遺跡です。
地権者の方が「二度と戦争はしてはいけない」という思いから破壊せずに残されてい
たものが史跡指定され保存されているのですが、是非学校教育等で活用してもらいたい
ものです。
(参考資料)
現地案内板