美濃焼の産地として知られる岐阜県瑞浪市市原地区で、江戸時代末期に製作され始め
たという。
明治時代中期には、犬山土人形の製作者である野呂松次郎を招き、土人形の製作法を
学び、農閑期の副業として益見地区や山田地区などにも広まった。
庶民用の土製内裏雛をはじめ、男物や女物などの添え人形が製作され、瑞浪市では雛
人形といえば、土雛を意味するほど多くの家庭に普及していた。
最盛期は明治から昭和初期であり、近郷だけではなく信州や近江地方にまで売られて
いたが、戦時下になると、生産量は激減。戦後には布製雛が普及したことから、多くの
土人形製作者は廃業に追い込まれた。
一時廃絶状況となった「市原人形」ではあるが、瑞浪市窯業技術研究所によって、土
人形講座が開かれたことで、連綿と製作されていることは嬉しい限りである。
(参考資料)
ふるさと玩具図鑑 井上重義 平凡社