【 清風亭 】
所在地: 深谷市起会110-1
入館料: 無 料
休館日: 年末年始(12/29~1/3)
大正15年(1926)、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)頭取であった佐々木勇
之助の古希を祈念して、東京都世田谷区瀬田の清和園に建造された。
設計者は、銀行建築の第一人者であった西村好時で、建築資金は第一国立銀行行員の
出資による。
建築面積168㎡。鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は人造石掻落し仕上げの白壁に
黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントを付けている。屋根のスパニッシュ瓦
(スペイン瓦)、ベランダのアーチ、出窓のステンドグラスや円柱装飾など、西村自身
南欧田園趣味と記述したようにスペイン風様式が採用されている。
まず、佐々木勇之助であるが、勤勉精勤、謹厳方正な性格で知られ、終始渋沢栄一を
補佐した人物である。28歳の若さで第一国立銀行本店支配人に就任し、大正5年(1
916)には渋沢の後任として第二代頭取に就任している。
西村好時は清水組(現在の清水建設)に入社後、第一国立銀行建築課長に就任し、東
京丸の内の第一国立銀行新本店をはじめ、三田の渋沢栄一邸も設計した人物として知ら
れている。
「清風亭」は、大正12年(1923)の関東大震災を契機に煉瓦造から鉄筋コンク
リート造に主流が変わったのだが、初期の建造物として建築史上貴重なものである。
昭和46年(1971)、清和園の敷地の過半が聖マリア学園に売却され、昭和50
年代には集会場として貸出されている。
建物や敷地時代は当時の第一勧業銀行の所有であったのだが、平成9年(1997)
には、聖マリア学園施設拡充計画に伴い、取り壊しの危機に瀕することとなった。
深谷市は渋沢栄一ゆかりの貴重な建造物が取り壊されることを見過ごせず、譲受けに
名乗りを挙げ、煉瓦壁をなるべく大きく切断して輸送する「大ばらし」を応用した日本
初の工法を用い、2年間の解体・復元工事を経て、平成11年(1999)、移築復元
を完成させている。
この移築復元、まさに深谷市の英断であろう。貴重な建造物の保存という点では優れ
た例となった。活用という点では広く市民等の見学に供されているほか、伝説の歌姫・
安室奈美恵さんのPVにも使用されたということで、ファンが訪れているという。しか
しながら、保存と活用を考える上では課題を有しており、今後論文等で取り上げたい文
化財でもある。
(参考資料)
現地配付パンフレット
現地案内板