【 松が茶屋跡 】
所在地: 吾妻郡高山村大字中山字茶屋ヶ松
別名を「塩原太助接待茶屋跡」と言い、上毛カルタで〘ぬ〙札「沼田城下の塩原太
助」と詠まれ、江戸本所で炭屋を営み財を成した塩原太助ゆかりの史跡である。
宝暦11年(1761)、塩原太助は継母の酷い仕打ちに故郷を出奔。この辺りで喉
が渇き水を欲したが水は無く苦渋した経験から、江戸で財を成した後の天明2年(17
82)、旅人の難儀を想い、お茶を接待するよう、中山峠茶屋主の中野久兵衛に旅人へ
の茶の無料接待を依頼し、茶釜と年1両を喜捨した。久兵衛は松という娘に茶屋を任せ
て、旅人への茶の接待をさせている。
昭和27年(1952)まで茶屋跡には、大きな赤松が十本並木を作り、また柿の木
と豆柿柿の大木が一本づつあったという。
松が茶屋がいつごろまで存続していたのかについては、手持ちの資料には記されてお
らず不詳であるが、塩原太助の公共事業の一端を示す「松が茶屋跡」が後世にまで伝わ
る不断の努力が必要であろう。
(参考資料)
現地案内板