日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

砥沢の砥石(群馬県甘楽郡南牧村)

 

  【 砥沢の砥石 】

 

           所在地: 甘楽郡南牧村砥沢

 

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 南牧村の特産品である「砥沢の砥石」。道の駅「オアシス南牧」内で販売されてい

る。

 

 砥石は他の岩石・鉱物資源よりも生活に密接した岩石である。縄文時代の遺跡からも

砥石が出土しており、南牧産出の砥石が利用されたことは明らかである。

 

 鎌倉時代、青砥藤綱が鎌倉幕府執権・北条氏に砥石を献上したというが、本格的な採

掘が行われていたのかは不明である。

 

 売買に関する天正5年(1577)の古文書が存在することから、採掘は16世紀半

ばには開始されていたことは明らかであり、武田氏の西上州侵攻頃に開始されたと考え

られる。良質な砥石は軍事物資として重要視されていたとは思うが、武田晴信は金鉱脈

の踏査中に発見したと推測されている。後に佐渡金山奉行となった大久保長安は武田旧

臣であり、優秀な鉱山開発技師であった。もっとも砥沢の場合は、地元の住民からの話

から鉱脈を発見出来たようではあるが・・・。

 

 江戸時代に入ると、徳川家康は砥沢を直轄地とし、市川氏を代官として本格的な採掘

を行っている。砥沢の市川氏も元は甲斐國市川郷出身であり、武田氏が南牧の地に派遣

されていたようである。

 

 砥石の搬出は大変であったようで、南牧川や鏑川では水量不足で水運は出来なかった

ことから、砥沢から下仁田・富岡を経て倉賀野宿まで馬で運ばれ、その後船で江戸に運

ばれたようである。

 

 富岡は世界遺産富岡製糸場のイメージから生糸で栄えたと思われがちであるが、砥

沢の砥石運搬の中継地点であったことが契機となり発展したとされる。

 

 時代が変わり、明治・大正・昭和になっても「砥沢の砥石」は全国有数の砥石産地と

して知られていたが、次第に産出量は減少している。

 

 

 「砥沢の砥石」のように特産品にも歴史はある。今後もこうした品にも注目していき

たいと考えています(^^♪

 

 (参考資料)

   砥沢の砥石:地質と歴史   佐藤興平  群馬県立自然史博物館紀要