【 馬場重久の墓 】
馬場重久は寛文3年(1663)、北下村に生まれ、三太夫と称し、医業に携わりな
がら農業技術の改善に取り組み、養蚕研究を進めて、貧農の救済に尽力した人物であ
る。
正徳2年(1712)、江戸で『養蚕育手鑑』を著して農民を指導するとともに、
「馬場鍬」という鍬を考案し普及させるなど、農業の改善をはかり産業発展につくし
た。また、陣場桑という桑の新品種を発見している。
『養蚕育手鑑』は十一条の養蚕に関する条が記されており、蚕の飼育方法を説くほ
か、蚕種貯蔵、蚕具等も記され、古いしきたりに頼っていた初期養蚕業に大きな影響を
与えている。
さて重久の墓であるが・・・、写真左手の墓石。「長山智遠居士」という戒名が刻ま
れている。
全国的には知られていない馬場重久の偉業。しかし彼の養蚕研究はその後の養蚕業に
受け継がれ、やがて明治初期の殖産興業で結実するのである。
(参考資料)
群馬県の歴史散歩 群馬県高等学校教育研究会歴史部会編 山川出版社
現地案内板