【 樋(火)塚古墳 】
所在地: 吾妻郡中之条町大字平1057-1
名久田川左岸の河岸段丘上に築造された円墳で、径約15m、墳丘高約2.7m、二段
構造となっている。
内部形式は、袖無型横穴式石室が西北に開口しており、奥行約5.5m、奥壁幅約1.
2m、高さ1.6m、天井石は五枚で、自然石の50㎝位の石による乱石積である。
石室玄室と羨道を分けるまぐさ石も認められ、6世紀前半に築造されたと推定されて
いる。
以前は石室内も容易に撮影出来たようであるが、現在では御覧のようにわずかに開口
しているのが確認できる。
江戸時代の横尾村出身の蘭学者・高橋景作の日記には、「嘉永六年(1853)四月
十九日平村火塚を掘る。同二十日火塚より丈二寸計の不動像出る。古代の害甲の八まん
座二つ刀のくされたる様のもの、八九寸計の物二本、其の他鉄物色々出たり」と記され
ており、石室内に不動尊や刀二本、その他にも遺物があったことがわかる。だが、この
際出土した遺物の所在は不明となっている。
本当に群馬県内には良好に墳丘が残存している古墳が如何に多いことか。至る所に古
墳がある。この「樋(火)塚古墳」も道すがら発見したもの。
古墳も地域の歴史を知ることの出来る貴重な史跡である。これからも保存するととも
に活用して欲しいものである。
(参考資料)
現地案内板