【 頭塔 】
所在地: 奈良市高畑町921
協力金: ¥300
※史跡管理費として
『東大寺要録』によれば、神護景雲元年(767)、東大寺の僧である実忠が土塔を
築いたとの記録があり、頭塔にあたるものと考えられる。しかし、平安時代末期には忘
れ去られたようで、興福寺寺域拡張に伴い、保延6年(1140)、大江親通が著した
『七大寺巡礼私記』には玄昉首塚伝承が書かれたこともあり、玄昉首塚伝承が広く流布
されるに至った。
昭和になり、仏教考古学者である石田茂作が「奈良時代末期においてインドの新様式
を取り入れた最先端の仏塔」と述べている。
昭和61年(1986)、奈良文化財研究所による発掘調査が実施され、頭塔下層に
さらに一時期古い三重の土塔が確認され、正倉院文書(造南寺所解)の天平宝字4年
(760)実忠とは別の人物によって造営されたものと判定されている。その際、6世
紀の古墳を破壊して造営されたものであることも明らかとなっている。
実忠の改修は、天平神護元年(765)、良弁の命で東大寺の南の春日谷に堤や池を
造営しており、東大寺南方への寺域拡張を目指したものと調査報告書では指摘されてい
る。
頭塔は版築による方形の土檀であり、基檀は1辺32m、高さ1.2m。上檀になるに
従い3mずつ縮小し、最上檀は1辺6.2m。高さは奇数檀で1.1m、偶数檀で0.6
m、基檀裾から最上檀までは約10mである。
奇数檀には各11基ずつ、総数44基の石仏が整然と配置されていたと考えられてお
り、現在28基が確認されている。また1基は大和郡山城の石垣に転用されていること
も明らかとなっている。
以前訪れた際には「ホテルウェルネス飛鳥路」フロントに見学を申し出ていた
が・・・、あれ💦ない💦
今回は多客期ということで「史跡頭塔保存顕彰会」の方が券売所にいらっしゃった
が、普段の見学については確認が必要だろう。
(参考資料)
現地配付パンフレット
現地案内板