【 柴崎浅間山古墳 】
所在地: 高崎市柴崎町字蟹沢586
大正15年(1926)、考古学者の森本六爾が隣接する柴崎蟹沢古墳(▢始元年銘
鏡出土で著名な古墳である)を踏査した際に、簡易的な測量図を作成している。
「上野に於ける▢始元年鏡出土古墳」『考古學研究』第2年第4號において、「而し
て本古墳(蟹沢古墳)の略東方約百尺前後の所に一圓墳があって未だ封土を失ふに至っ
ていない。これは封土の高さ約13~14尺(3.9~4.2m)前後もとは葺石をもつ
ていたらしい」と記している。
昭和10年(1935)、『上毛古墳綜覧』には「群馬郡大類村17号墳」として記
録されている。
令和2年度、高崎市教育委員会によって試掘調査が行われ、1辺約25m、墳丘高4.
2mの方墳であり、古墳周囲には堀が巡っていることが確認された。堀幅などは調査区
が限定されていることから詳細は不明である。墳丘に葺石は確認出来なかったことか
ら、築造時も葺石はなかったと推測されている。
埋葬施設は縦穴式であり、墳丘下約3mに粘土槨が確認出来たものの、墓壙は未確認
である。今後はレーザー探査による確認は行う予定であるが、本掘は実施する予定はな
い。
遺物は周堀内から出土した土器片1点のみであるが、遺物から古墳時代前期(4世
紀)に築造されたと推定されている。
「柴崎浅間山古墳」は地権者への高崎市教育委員会による働きかけもあり、高崎市に
寄付されることとなったことから破壊を免れて保護されることとなった。今後は活用に
向けて墳丘の整備等が実施されるようだが、活用には多くの障害が存在しており検討が
必要である。
古墳周囲は住宅地であり、仮に墳丘を見学可能になったとしても、駐車場はもとより
墳丘に近づくための園路が必要となる。地域住民のプライバシー保護も求められ、見学
には住民の理解も必要となろう。
改正文化財保護法によって史跡の活用が求められているが、解決すべき諸問題が多い
ということを「柴崎浅間山古墳」から知ることが出来よう。
(参考資料)
柴崎浅間山古墳 現地説明会 配布資料