【 志賀直哉旧宅 】
所在地: 奈良市高畑町1237-2
休館日: 年末年始(12/28~1/5)
入館料: 一般 ¥350 中学生 ¥200 小学生¥100
大正14年(1925)、京都山科から奈良幸町に居を移した志賀直哉は、4年間借
家住まいをする間に高畑に宅地を求めます。自ら設計し、友人の画家・浜田葆光に紹介
された京都数寄屋大工の棟梁・下島松之助に邸宅の建築を依頼します。
昭和4年(1929)4月、竣工した邸宅は、木造数寄屋造を基調とし洋風や中国風
様式も取り入れ、洋風サンルームや娯楽室、書斎、茶室、食堂を備えたモダンかつ合理
的な建物である。
( 書斎 )
志賀はこの地で、『暗夜行路』のほか『痴情』『プラトニック・ラブ』『邦子』『鳥
取』『雪の遠足』『リズム』『万暦赤絵』『日曜日』などの作品が執筆されている。
志賀を慕い武者小路実篤や小林秀雄、尾崎一雄、若山為三、小川晴陽、入江泰吉、亀
井勝一郎、小林多喜二、桑原武夫ら白樺派の文人や画家、また陶芸家の今西洋など様々
な文化人がしばしば邸宅を訪れ、文学論や芸術論などを語り合う一大文化サロンとな
り、高畑サロンと呼ばれるようになった。
昭和13年(1938)、直哉は東京に移住し、邸宅は昭和14年(1939)、民
間人の関信太郎に売却され、昭和21年(1946)まで同氏が居住する。
昭和22年(1947)春には米国進駐軍に接収され、昭和26年(1951)まで
続いた。
昭和53年(1978)、現在の厚生労働省(当時は厚生省)より譲渡された奈良学
園は、「志賀直哉旧宅」の保存に努めるとともに、広く一般に公開した。
平成20年(2008)には奥村組によって志賀が居住していた当時の姿に復元する
改修工事が行われている。
奈良公園からほど近い地にある「志賀直哉旧宅」。文化財の保存と活用の好例といえ
る。興福寺や東大寺といった古刹に比べ、まだまだ「志賀直哉旧宅」を訪れる方は少な
いようにも感じる(インバウンド観光が少ないせいもあるかと思いますが・・・)。
まだまだ奈良市内にも魅力的な史跡は多いので、今後も本ブログで紹介することで訪
れる人が増え、より良い保存と活用が図られることを希望している。
(参考資料)
現地配付パンフレット
現地案内板