日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

宇治橋断碑(京都府宇治市)

 

  【 宇治橋断碑 】

 

           所在地: 宇治市宇治東内11   放生院 常光寺(橋寺)境内

   拝観料:         ¥300

 

   ※ 拝観期間 3月~5月 9月~11月 AM09:00~PM16:00

 

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            ( 断碑は撮影不可のため覆屋 )

 

 寛政3年(1791)、放生院境内で宇治橋架橋の由来を刻んだ石碑の首部が発見さ

れた。一説では宇治川河畔から出土したという。

 

 残りの碑身は発見されなかったものの、14世紀後半に成立した『帝王編年記』に碑

の全文が収録されており、それに基づいて尾張国の学者・小林亮適らが、古法帖の文字

をつらねてこれを補刻し欠損部を復元し、寛政5年(1793)に完成した。

 

 碑文は、大化2年(646)に僧道登が宇治橋を架橋したと記しているが、『続日本

紀』の宇治橋架橋は道昭との記述と矛盾している。『日本霊異記』、『扶桑略記』、

『古今物語集』は道登が架橋したとするが、これらは「宇治橋断碑」の流れを汲むもの

であり、どちらが正しいのかは不明である。

 

 『帝王編年記』では、大化2年に道登と道昭が架橋したと記し、『扶桑略記』は「国

史曰」として道昭創始も併記している。

 

 一説では、道登の宇治橋架橋は民間事業であり、道登の架橋した宇治橋が氾濫で流さ

れた後に、唐から帰国した道昭が朝廷の支援を受けて官道整備の一環として架橋したこ

とから、正史である『続日本紀』では民間事業である道登の事績は顧みられなかったと

する。

 

 「宇治橋断碑」がいつ建立されたのかは不明であるが、書法が北魏様であり、刻法も

素朴であることから平安時代以前であり、碑文の内容も宇治橋縁起ではなく道登の供養

であることから、生前供養の可能性を含めて、大化2年から然程離れない時期であろう

と推測されている。

 

 なお「宇治橋断碑」を日本三古碑に数えることもあるが、一般的には「多胡碑」、

那須国造碑」、「多賀城碑」を三古碑としている。

 

 

 さて、京都府宇治市ユネスコ世界遺産古都京都の文化財」を構成する宇治上神社

平等院といった観光地と、宇治茶スイーツを求めた多くの人々で賑わっている。しか

しながら、今回紹介する「宇治橋断碑」を見に宇治を訪れる人はどれほどだろうか?観

光客の中で「宇治橋断碑」を散策の目的地として考慮している人は僅かではないだろう

か?

 

 平等院宇治上神社からほど近いにもかかわらず、それほど知られていないのが実情

である(通年拝観でないこともその一因かもしれないが・・・)。考古学を学ぶもの、

書道を学ぶものにとって貴重な知見を得られる文化財である「宇治橋断碑」。是非、訪

れてもらいたい文化財である。

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット

   現地案内板