【 池城跡 】 評価 ★
別 名: 岡 城
築城年代:
築 城 者: 河原丹後守
区 分: 丘 城
現 状: 多胡郡正倉跡
鏑川河岸段丘上に位置し、2~4m程度の高低差を利用した城館跡である。
縄張自体は一辺150mの三角形で、東と南は自然地形を利用し要害とし、西面は土
居と堀を構築して防衛線としていたようである。大手虎口は南西部と推測されている。
地元旧家に「河原丹後守が城主であった」という伝承が残されているが、築城経緯や
歴史的背景については不詳とされている。
この地域の多くの小領主が長野氏に帰属し、長野氏滅亡後には武田氏・後北条氏に属
しており、河原氏もそのように想定されるものの、具体的な史料を欠いていることから
不明とせざるを得ない。
高崎市教育委員会による「多胡碑周辺遺跡」発掘調査において、池城跡も調査が実施
され、多胡郡正倉跡であったことが明らかとなっており、その後、城館として機能した
ようである。
遺構としては、発掘調査時点では土塁が残されていたのであるが、「多胡郡正倉跡」
として整備された際に削平されたようで、痕跡が残るのみとなった。
「多胡郡正倉跡」として案内板が建てられたが、その中には城館跡としての記載は見
られない。まぁ、郡衙の施設としてでも良いんですけどね。
(参考資料)