【 多胡郡正倉跡 】
平成23年(2011)から、高崎市教育委員会によって多胡碑周辺遺跡発掘調査を
実施していたが、平成28年(2016)の第5次調査で東西16.8m、南北7.2m
の大型建物跡が検出しました。
大きな礎石が整然と並び、屋根は当時希少であった瓦が葺かれていたことが明らかと
なった。
この遺構の北辺中央から真北に約350mの地には、和銅4年(711)、多胡郡建
郡を記した「多胡碑」が存在していることから、この大型建物跡は多胡郡衙の施設の一
つである法倉(格式の高い正倉)であると推定されています。
正倉とは、高床倉庫が立ち並び、税として郡から集めた米などの穀物を保管した公の
倉庫で、付近一帯からも礎石建物跡が確認されています。これら倉庫群は南北の方位に
あわせて掘られた区画溝に囲まれており、約210m四方の敷地を有していたことも、
平成29年(2017)の調査で明らかとなっています。
古代多胡郡は、国家の形成期に国が主導して渡来人を登用し設置された郡であり、全
国的にも稀有な郡です。多胡郡衙跡の遺構は未だ発見されておらず、高崎市教育委員会
では現在も継続的に調査を実施しています。
(参考資料)
第五次 「多胡郡周辺遺跡」発掘調査現地説明会 資料
第六次 「多胡郡周辺遺跡」発掘調査現地説明会 資料
現地案内板