【 芝雑魚場跡 】
所在地: 港区芝4-15 港区立本芝公園内
この附近は、古川河口の三角州にあたり、江戸時代以前から開けていた地であり、本
来の芝の地であるということで、本芝と呼ばれていた。
江戸時代初期、東海道が高輪台地上から芝の低地に移されると、街道を通行する人々
を相手に、江戸湾一帯を漁場としていた本芝・金杉の漁民は、金杉から本芝街道筋で鮮
魚を販売するようなり、自然にこの地に魚市が建つようになったとされる。
当初は雑魚(小さな魚)を並べて売ったので雑魚場と呼ばれ、後に徳川将軍家に鮮魚
を月4回納めていました。人情話「芝濱の革財布」もこの地の噺である。
明治5年(1872)、新橋-横浜間に鉄道が開設すると、西郷隆盛をはじめとした
軍部の意向もあり線路は海上の堤防(築堤)を走ったが、雑魚場は築堤ガード下から東
京湾に通じており、漁業は続けられた。しかし、次第に漁獲量は減少し、漁民は海苔や
牡蛎の養殖に携わるようになっていった。
本芝は最後まで残されていた江戸時代の海岸線であったが、明治末から次第に埋め立
てられ、漁業も行われなくなったこと、海水が停留していたこともあり、昭和43年
(1968)、埋め立てられてしまいました。
現在は、港区立本芝公園内に「雑魚場跡」の案内板が建つのみです。
(参考資料)
歴史散歩みなと 港区教育委員会
現地案内板