日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

旧杉原家住宅(石川県白山市)

 

  【 旧杉原家住宅 】

 

           所在地: 白山市白峰リ30   石川県立白山ろく民俗資料館 内

 

 

 切妻造妻入栗小羽葺三階建。梁間6間半、桁行13間半、表下屋奥仏間付。

 

 元治元年(1864)、旧白峰村桑島の旧家で酒造や大規模養蚕を行い、白山麓

村々に日用品を販売し、金沢や福井に生糸や織物を卸すなど、手広く商いをしていた杉

原家五代目利五郎の時に建造された。

 

 二階の柱には、越前永平寺の宮大工・大久保政吉が棟梁となったとの墨書があり、築

造年代や棟梁が明らかな民家である。

 

 杉原家の屋号は助五郎。享保頃(1700年代前半)に杉原小左衛門家から初代が分

家しています。小左衛門家は慶安4年(1653)の記録にその名が見られる旧家でし

たが、助五郎家が力を持つようになったのは、五代目利五郎の代である。

 

 天明頃(1780)には島村の組頭などを務めるようになり、明治2年(1869)

頃まで代々その役職にありました。

 

 

 文化10年(1813)、大聖寺藩士・小原益が著した『白山紀行』の中には、「此

村(白峰や桑島)には三階造りの長さ十四、五間もある大家多し」と記している。

 

 杉原家は広大な屋敷を石垣で囲み、敷地内には小川が流れており、母屋のほかに三階

建の土蔵、ニ階建の納屋があった。

 

 母屋中柱の太さは9寸(27㎝)、壁の厚さは20㎝、客室には京畳が用いられる一

方、地内子(小作人)の使用した下の居間は、上の居間より床を9.5㎝低く造るなど、

建築部材や建物構造の細部に至るまで手が掛けられていることがわかる。

 

 

 昭和53年(1978)、ダム建設に伴い水没することから現在地に移築されるまで

は杉原家の住居として使用されていました。

 

 

 石川県立白山ろく民俗資料館。白山市街地から離れた白峰にある資料館であるが、非

常にお薦めである。古民家見学には2~3時間は必要だろう。「旧杉原家住宅」などじ

っくり鑑賞してもらいたい施設である。

 

 (参考資料)

     白山麓民家の見方・楽しみ方    石川県立白山ろく民俗資料館

   現地配付パンフレット

   現地案内板