日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

令和4年度 第2回現地踏査『これからの文化財保護と活用を考える -高槻市踏査を例として-』 二日目 その5

 

 高槻踏査もいよいよ最終局面。阪急・高槻市駅から初阪急🚃で一駅移動。

 

 阪急・富田駅に到着したのであるが・・・、最終目的地は予約が必要な地。予約時間

は午後2時ということで、若干時間に余裕がある💦

 

 昼食を済ませたばかりではあるが、富田駅に程近い喫茶店☕🍰で小休止!!こんな

緩さが関西での研修の特徴ともいえる。

 

 小休止し、最終目的地に向かう一行。しかしながら、まだ時間はちょっと早い💦とい

うことで周辺を探索することに。

 

 

  🔵 三輪神社           高槻市富田町4-14-14

 

   ここに関しては先行してブログに更新済ということで、そちらをご覧ください。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 

  🔵 出世地蔵           高槻市富田町

 

   明治元年(1868)、神仏分離令によって三輪神社の外に出された地蔵で、昭

   和50年代に現在の場所に安置されたという。

 

 そうこうしているうちに予約した午後2時。ということで最終目的地に。

 

 

  🔵 普門寺         高槻市富田町4-10-10

 

   明徳年間に説厳によって創建されたと伝えられるが、一旦荒廃していたようであ

   る。

 

   永禄4年(1561)、三好長慶がかつての主君・細川晴元を幽閉し、普門寺の

   復興とあわせ周囲に堀や土塁を構えた城郭「普門寺城」とした。境内の一角には

   この地で崩じた晴元の墓と伝わる宝篋印塔が残る。

 

          ( 細川晴元の墓とされる宝篋印塔 )

 

   元和3年(1617)、龍渓が入山し、約40年間かけて方丈や諸堂を造営。

 

   明暦元年(1655)、明の高僧・隠元が招かれて6年間滞在している。

 

  普門寺のみどころの一つが、江戸時代初期に玉淵作と伝わる枯山水庭園である。

 

 

 普門寺拝観の際も、次第に強まる雨☔に悩まされてしまった(>_<) これもあってゆ

っくりと散策は叶わなかったが、改めて訪問したい古刹である。

 

 1時間弱滞在したのち、一行は帰途に就くのであるが・・・、富田町は酒造で知られ

た街。JR富田駅に向かう途中で、造り酒屋を発見!!

 

 

 雨に祟られ、限られた時間の中で忙しない高槻踏査であったが、文化財の保護と活用

を考える上で有効な例となる「安満遺跡公園」をはじめ、「今城塚古墳」や「高槻城

跡」、「普門寺」といった今後さらなる活用が求められる史跡の踏査、さらに「高槻 ま

ちかど遺産」もいくつか確認することが出来た。

 

 今回の研修は、観光考古学、文化財の保護と活用を考える上で数年来の企画であっ

た。まだまだ日本各地には魅力的な史跡があり、丁寧に踏査することが必要な街は多

い。

 

 令和4年度 第2回現地踏査『これからの文化財の保護と活用を考える -高槻市踏査

を例として-』はひとまずこれにて終了となりますが・・・、高槻は今後論文に取り上

げる際に再び訪れる必要があるでしょうね。

 

 これからも現地踏査を通じて、多くの街を訪れて「埋もれた歴史」を掘り起こしてま

いります(^^♪