高槻踏査もいよいよ最終局面。阪急・高槻市駅から初阪急🚃で一駅移動。
阪急・富田駅に到着したのであるが・・・、最終目的地は予約が必要な地。予約時間
は午後2時ということで、若干時間に余裕がある💦
昼食を済ませたばかりではあるが、富田駅に程近い喫茶店☕🍰で小休止!!こんな
緩さが関西での研修の特徴ともいえる。
小休止し、最終目的地に向かう一行。しかしながら、まだ時間はちょっと早い💦とい
うことで周辺を探索することに。
🔵 三輪神社 高槻市富田町4-14-14
ここに関しては先行してブログに更新済ということで、そちらをご覧ください。
🔵 出世地蔵 高槻市富田町
明治元年(1868)、神仏分離令によって三輪神社の外に出された地蔵で、昭
和50年代に現在の場所に安置されたという。
そうこうしているうちに予約した午後2時。ということで最終目的地に。
🔵 普門寺 高槻市富田町4-10-10
明徳年間に説厳によって創建されたと伝えられるが、一旦荒廃していたようであ
る。
永禄4年(1561)、三好長慶がかつての主君・細川晴元を幽閉し、普門寺の
復興とあわせ周囲に堀や土塁を構えた城郭「普門寺城」とした。境内の一角には
この地で崩じた晴元の墓と伝わる宝篋印塔が残る。
( 細川晴元の墓とされる宝篋印塔 )
元和3年(1617)、龍渓が入山し、約40年間かけて方丈や諸堂を造営。
明暦元年(1655)、明の高僧・隠元が招かれて6年間滞在している。
普門寺のみどころの一つが、江戸時代初期に玉淵作と伝わる枯山水庭園である。
普門寺拝観の際も、次第に強まる雨☔に悩まされてしまった(>_<) これもあってゆ
っくりと散策は叶わなかったが、改めて訪問したい古刹である。
1時間弱滞在したのち、一行は帰途に就くのであるが・・・、富田町は酒造で知られ
た街。JR富田駅に向かう途中で、造り酒屋を発見!!
雨に祟られ、限られた時間の中で忙しない高槻踏査であったが、文化財の保護と活用
を考える上で有効な例となる「安満遺跡公園」をはじめ、「今城塚古墳」や「高槻城
跡」、「普門寺」といった今後さらなる活用が求められる史跡の踏査、さらに「高槻 ま
ちかど遺産」もいくつか確認することが出来た。
今回の研修は、観光考古学、文化財の保護と活用を考える上で数年来の企画であっ
た。まだまだ日本各地には魅力的な史跡があり、丁寧に踏査することが必要な街は多
い。
令和4年度 第2回現地踏査『これからの文化財の保護と活用を考える -高槻市踏査
を例として-』はひとまずこれにて終了となりますが・・・、高槻は今後論文に取り上
げる際に再び訪れる必要があるでしょうね。
これからも現地踏査を通じて、多くの街を訪れて「埋もれた歴史」を掘り起こしてま
いります(^^♪