日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

篠山貝塚(栃木県栃木市)

 

  【 篠山貝塚

 

            所在地: 栃木市藤岡町藤岡2469

 

 

 旧藤岡町市街地東方の低台地上の畑地に所在している。古くは周囲約30㌔の赤麻沼

が存在し、縄文時代前期中葉の海進が最も奥深く達した時期には、東京湾最奥部付近と

なる。現東京湾最深の貝塚として知られ「藤岡貝塚」とも称される。

 

 大正11年(1911)、小松真一によって、『考古学雑誌』第12巻第2号誌上に

「栃木県藤岡における淡水貝塚」と題した彙報覧に簡単に報告され、学界に知られるこ

ととなった。

 

 昭和16年(1941)7月、地元の素封家・岩崎清七の調査費支出によって、日本

古代文化学会の後藤守一を主査に、甲野勇、吉田格、江坂輝弥らが調査を実施。貝層下

ローム面を床面とし、側壁が黒土中にあり、踏み固められた床面の追跡によって、柱

穴2本の長方形竪穴住居跡1軒を完堀し、関山式土器7個が出土している。

 

 昭和27年(1952)、栃木県教育委員会の依嘱で明治大学文学部考古学研究室の

杉原荘介らが中心となり、発掘調査を実施。長方形竪穴住居跡2軒が検出した。

 

 貝塚を構成する貝類の90%が汽水域に生息するヤマトシジミで、この他、淡水性の

シジミ、タニシ、海産のマガキ、イタボガキ、ハイガイ、ハマグリ、シオフキ、マテ

ガイ、アカニシ、アワビなどの貝殻も検出されている。

 

 また貝層下の土層からは早期茅山式、田戸下層式、稲荷台式などの土器片も微量では

あるものの検出している。

 

 シカやイノシシの骨も検出されており、それを用いて作成された針、ヤスといった骨

角器、さらに貝製腕輪も出土しているのだが、この時期の遺跡でよく出土する黒曜石製

石器等の出土数は少ない。

 

 昭和54年(1979)、治水工事に伴う発掘調査が実施され、貝塚の大半は破壊さ

れている。しかしながら、現在も半分以上の貝塚は残存しており、ヤマトシジミが地表

面に見られる。

 

 

 現地踏査の際に注意したいのが、駐車スペース💦 「篠山貝塚」は民家脇の細い道沿

い。少し離れた場所から歩いて訪れた方が良い。

 

 地表面にヤマトシジミが至る所にあり、貝塚であったことが良く理解できる。周辺の

遺跡等とあわせて見学するのがベストだろう。

 

 (参考資料)

   日本古代遺跡便覧      末永雅雄 監修    社会思想社

   現地案内板