日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

埼玉県名発祥之碑(埼玉県行田市)

 

  【 埼玉県名発祥の碑 】

 

            所在地: 行田市埼玉4834

 

 

 昭和62年(1987)、建立。

 

 律令による国郡制によって前玉郡として設置された郡であり、「東大寺正倉院文書」

神亀3年(726)、山背国戸籍帳に武蔵國前玉郡の表記が見られる。

 

 明治4年(1871)、廃藩置県によって埼玉県(県庁所在地:岩槻)と入間県(県

庁所在地:川越)が設置された。

 

 明治6年(1873)、入間県は群馬県令と同一県令であったという極めて単純な理

由から、群馬県(現在の群馬県と区域が異なる)と合併し、熊谷県となった。県庁は熊

谷・熊谷寺に置かれている。熊谷県の面積は現在の埼玉県の10倍近い広範囲であっ

た。

 

 明治9年(1876)8月、熊谷県から現在の群馬県の区域を分離し、埼玉県を合併

したことで、現在の埼玉県の県域がほぼ定まった。ほぼとしたのは・・・群馬県伊勢崎

市の一部(田島弥平旧宅がある地域)の帰趨は現在も残されているからである。

 

 この時に問題となったのが、県庁所在地である。これは他県でも見られたことで、隣

県群馬も前橋か、高崎かで問題となっている。

 

 埼玉県の場合、明治19年(1886)に県庁所在地熊谷移転問題が起こるなど紛糾

状況であった。明治23年(1890)、ようやく正式に県庁所在地が浦和に定められ

ている。

 

 なお、浦和は昭和9年(1934)まで浦和町であり、県庁所在地でありながら全国

で唯一市制を施行していなかった。時間帯によっては浦和駅を電車が通過するという珍

しい県庁所在地であった。

 

 

 「埼玉県名発祥之碑」など、各地に「〇〇発祥の地」という碑や案内板があり、発祥

地巡りをする方も多い。

 

 埼玉県立さきたま史跡の博物館に建立されているので、見学の際に見落とすことなく

確認してみては如何でしょうか(^^♪

 

 (参考資料)

   現地案内板