【 新池埴輪製作遺跡 】
所在地: 高槻市上土室1-10
入館料: 無 料
休館日: 年末年始(12/29~1/3)
昭和27年(1952)、遺跡の存在が確認されていたが、本格的な発掘調査が開始
されたのは昭和63年(1988)のことである。
周辺の宅地造成に伴う発掘調査で、5世紀から6世紀の遺構である埴輪窯18基と工
房、工人集落址が検出している。
遺物として7世紀の工人集落址から新羅土器が出土していることから、遺跡一帯は
『日本書紀』欽明天皇23年条にある「摂津國三嶋郡埴盧新羅人之先祖也」と推定され
ている。
( 復元された1号窯、2号窯 )
450年頃、大阪府茨木市の太田茶臼山古墳(宮内庁比定の継体天皇陵)造営に伴う
埴輪供給のため、埴輪窯3基と埴輪工房3棟、工人住居7棟の規模で埴輪製作が開始さ
れたとされる。
480年頃になると、埴輪窯5基と工人住居7棟が営まれ、三嶋古墳群の番山古墳や
土保山古墳、昼神車塚古墳などの埴輪を焼成し、530年頃には今城塚古墳造営に伴っ
て10基の埴輪窯、5棟の住居兼工房、14棟の住居が営まれ、埴輪製作のピークを迎
えています。
550年頃になると、畿内で大型前方後円墳造営が収束に向かったことから、「新池
埴輪製作遺跡」での埴輪製作は終焉しました。
( 新池埴輪製作遺跡最大級の18号窯 )
平成6年(1994)、ハニワ工場公園として整備された「新池埴輪製作遺跡」。上
土室丘陵一体に広がる日本最古、かつ最大級の埴輪製作遺跡として、考古学を学ぶもの
ならば一度は踏査してもらいたい遺跡であるとともに、今後の文化財保護と活用を考え
る絶好の遺跡のひとつとして注目されます。
訪れる際は、周辺に駐車場がないため、JR摂津富田駅から高槻市営バス🚌に乗車
し、上土室下車。徒歩約5分となります。遠方からですと駐車場が欲しいところです
が・・・、これが文化財の活用にとっての一つの問題点となります(+_+)
※この駐車場問題に関しては、論文で考察したい問題ですので💦気軽にブログに記述
出来ません。ご了承くださいm(__)m
高槻踏査初日に訪れたのですが・・・、本当に土砂降りの中の踏査になってしまいま
した💦 今後、高槻市の文化財保護・活用に関して1本論文に記したいので、再訪をし
なければと思っています。
(参考資料)
現地配付パンフレット