【 旧下田邸書院及び庭園 】
休館日: 日・月、祝日
拝観料: 無 料
永禄9年(1566)、武田信玄の上州侵攻の前に箕輪城は落城。箕輪城主長野氏の
重臣であった下田氏は土着し、江戸時代には酒造業を営み、地域の有力者となった。
天和3年(1683)、下田理大夫政広の代に安房勝山藩の飛び地・白川陣屋の代官
となり、明治を迎えるまで代々代官を務めている。
そんな下田氏が江戸時代に構えた邸宅の一部が「旧下田邸書院及び庭園」である。
書院は平屋建て切妻造。下の間12畳半、上の間10畳から成り、式台を設けた玄関
など武家屋敷としての格式を備えている。また、木の皮の面を残した面皮柱を用いるな
ど随所に数寄屋風の意匠がみられ、葡萄とリスを透かし彫りで表現した欄間の彫刻は繊
細かつ優美で書院の風格に彩りを添えている。
庭園は『忠臣蔵』で吉良邸に討ち入りした越後新発田出身の剣豪・堀江安兵衛が手掛
けたとされる池泉回遊式庭園で、青翠園と称される。
安兵衛は師匠の樋口十郎左衛門と伴われ、年に1~2回ほど箕輪や下田邸に滞在した
といい、その際に作庭したという。
高崎市箕郷支所に所在しており、近年、紅葉時期には庭園をライトアップしたり活用
の兆しが見られているが、今後更なる活用が期待される。
(参考資料)
現地案内板