【 御経塚遺跡 】
所在地: 野々市市御経塚1-549
手取川扇状地北端部に立地する縄文時代後期中頃から弥生時代初頭にかけての集落遺
跡である。
明治41年(1908)から大正3年(1914)にかけ、当時の押野村字御経塚地
内で耕地整理事業が実施された際、表層採取された遺物が区長宅に保管されていたこと
から、石川考古学研究会会員であった高堀勝喜氏らは、昭和28年(1953)に遺物
調査を行い、弥生末期の土器数点と磨製石斧3点、縄文土器1点を確認したが、出土地
は不明であった。
昭和29年(1954)、押野中学校の生徒であった市村正則氏が御経塚集落北東の
水路から採集していた土器片や石鏃を学校に報告したことで、遺跡が周知されることと
なった。
昭和31年(1956)、押野村史編集委員会を主体として初の発掘調査が実施さ
れた。その結果、御物石器埋納遺構の検出を始め、北陸地方縄文後晩期の土器編年の型
式である御経塚式土器など多くの遺物が確認された。
昭和43年(1968)以降、金沢バイパスや県営住宅建設など市街地化による大規
模開発に伴う発掘調査が実施され、多くの遺構・遺物が検出された。
「御経塚遺跡」はチカモリ遺跡・中屋遺跡・中屋サワ遺跡など周辺集落遺跡の中核で
あり、祭祀や交易の中心として栄えた集落遺跡として、昭和52年(1977)、国指
定史跡となっている。
現在、遺跡は史跡公園として整備されており、隣接するふるさと歴史館には出土遺物
が展示されている。
野々市市は発掘調査が実施された遺跡の多くに説明版が設置されるなど、文化財の観
光活用を積極的に推進している街である。「御経塚遺跡」は観光考古学の視点から非常
に注目すべき遺跡であり、機会があれば野々市市を再訪して考察したいと思っている。
(参考資料)
現地案内板