【 諏訪館跡 】 評価 ★
別 名:
築城年代: 慶長8年(1603)
築 城 者: 秋保(馬場)長門守頼重
区 分: 居 館
現 状: 保昌寺
慶長8年(1603)、伊達家御一家に列されていた秋保(馬場)長門守頼重は秋保
郷馬場邑を召し上げられ、刈田郡円田邑200石へ所領替えとなったことから築かれて
いる。
慶長18年(1613)、サン・ファン・バウティスタ号の造船奉行に任じられら
れ、支倉常長の慶長遣欧使節団に関与したことでも知られている。
慶長20年(1615)、大坂夏の陣ののち、馬場秋保氏は刈田郡円田邑北境に再び
所領替えとなり廃城となった。
秋保氏は平清盛の長男である小松内大臣重盛の子孫とされる氏族で、戦国末期には秋
保四郷(湯本邑・境野邑・長袋邑・馬場邑・新川邑)を領しており、宗家は湯本邑・長
袋邑を領した秋保弾正忠直盛、分家筋として境野邑・新川邑を領した境野盛忠、そして
前述した馬場邑を領した馬場頼重がいる。
馬場秋保氏は伊達政宗に重用されており、その子々孫々は伊達家臣として仕えたよう
であるが・・・北境に所領替えとなってからは目立った記録は残されていない。
「諏訪館跡」の保昌寺には必見の仏像があるのだが・・・それは別トピとしたい。館
跡としての眼だった遺構はないが、蔵王町に来たなら訪れてもらいたい古刹である。