日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

牛込城跡(東京都新宿区)

 

  【 牛込城跡 】                    評価 ★

 

   別  名:

   所  在  地:    新宿区袋町15

   築城年代: 天文10年(1541)

   築  城  者:   牛込宮内少輔勝行

   区  分:     丘 城

   現  状:       光照寺

 

 

 扇谷上杉朝興に与していた上野國大胡城主・大胡重行は、上野國太田金山城主・横瀬

成繁から圧迫され、天文年間(1532~1555)、後北条氏康に招かれて武蔵に移

り、氏康から武蔵國赤坂・桜田・日比谷付近に所領を与えられた。

 

 天文10年(1541)、重行の子である大胡勝行は牛込城を築き居城とし、牛込宮

内少輔勝行と名を改めている。

 

 天正18年(1590)、後北条氏が滅亡すると、勝行の子である牛込勝重が徳川家

康に召し出され、旗本として徳川家に仕えることとなった。

 

 その後、牛込氏嫡流は無嗣断絶となるが、勝重の孫である重添が旗本として家系を継

いでいます。

 

 (発掘調査)

 

 平成9年(1997)、新宿区袋町遺跡調査団による発掘調査が実施され、土坑や井

戸址などの遺構を検出し、磁器片・陶器片などの遺物が出土しています。

 

 平成13年(2001)、大成エンジニアリング㈱埋蔵文化財調査室による発掘調査

が実施され、土坑などの遺構が検出され、磁器片・陶器片などの遺物が出土している。

 

 

 神楽坂にほど近い「光照寺」一帯が城址とされ、城館址としての遺構は皆無です

が・・・、境内には「出羽松山藩主酒井家墓地」、「諸国旅人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の

墓」といった史跡が所在しており、訪れる価値は高い城館址です。

 

 神楽坂散策の折にでも立ち寄ってみてはいかがでしょうか(^^♪

 

nihonshiseki.hatenablog.com

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 (参考資料)

  現地案内板

真砂遺跡(東京都文京区)

 

  【 真砂遺跡 】

 

          所在地: 文京区本郷4-8-3

 

 

 宝永元年(1704)、肥前國唐津藩・小笠原家中屋敷が構えられ、安政5年(18

58)まで存続している。その後、幕末まで信濃國上田藩・松平氏中屋敷が構えられて

いる。

 

 昭和59年(1984)、文京区男女平等センター建設に伴い、真砂遺跡調査団によ

る発掘調査が実施され、地下室遺構40、千川上水を引き込んだ上水道址などの遺構が

検出された。また生活用具としての陶磁器片、18世紀にオランダで作られた土製クレ

イパイプなどが出土しています。また、文京区内では出土例が稀である黒曜石製鏃も出

土しています。

 

 地下室遺構は、火災時の荷物の避難場所あるいは酒・味噌の発酵場所として使用され

たと推察されています。

 

 

 「真砂遺跡」は本郷4丁目一帯に所在するので、今回紹介する場所が◯地点か定かで

はありません💦💦 また城館址扱いしようかと思いましたが・・・遺跡として扱ってお

ります。

 

 東京の一等地ですから遺構はありませんが、案内板だけでも設置されていることはあ

りがたい限りです(^^♪

 

 (参考資料)

   現地案内板

松崎慊堂宅地跡(東京都渋谷区)

 

  【 松崎慊堂宅地跡 】

 

           所在地: 渋谷区東4-9-1  白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 

 

 

 明和8年(1771)、松崎慊堂は肥後國に生まれ、13歳頃に国元から江戸に出

奔。寛政2年(1790)からは昌平黌で学び、さらに林述斎の家塾で学んでいる。

 

 享和2年(1802)、遠州掛川藩主・太田資愛に招かれ、御馬廻格で藩儒として取

り立てられ、文化8年(1811)には朝鮮通信使の対馬来聘に侍読として随行するな

どしています。

 

 文政5年(1822)、子息である明微(明遼)に家督を譲り、江戸目黒の羽沢に石

経山房という山荘に隠居。

 

 天保10年(1840)、蛮社の獄で門人の渡辺崋山が捕らえられると、病の身をお

して幕府老中・水野忠邦に建白書を提出。この建白によって崋山は死一等を減じられた

という。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 慊堂の学問は朱子学が中心であったが、経書一般にわたり国典にも詳しく、考証面や

詩文にも長じ、学識は広く、識見も卓越していたことから佐藤一斎とともに大儒と称さ

れ、弘化元年(1844)、74歳で没するまで山房に住み、門弟の指導や諸侯への講

説を行いました。

 

 

 松崎慊堂という名を愛知県田原市で見た際、どこかで聞いた名前だなぁと思った。そ

れが渋谷区であったことを思い出し、歴史の繋がりを改めて感じた次第である。

 

 そもそも「松崎慊堂宅地跡」として更新すべきか?あるいは「白根記念渋谷区郷土博

物館・文学館 」として紹介すべきか悩んでいた物件。

 

 ひとまず「松崎慊堂宅地跡」として更新してみました。「白根記念渋谷区郷土博物

館・文学館」としても更新しますのでお待ちくださいm(__)m

 

 (参考資料)

   現地案内板

飛鳥池工房遺跡 ~ 建物址・塀址 ~(奈良県高市郡明日香村)

 

  【 飛鳥池工房遺跡 ~ 建物址・塀址 ~ 】

 

           所在地: 高市郡明日香村飛鳥10 万葉文化館 敷地内

 

  ( 左手に「石組方形池址」 手前の掘立柱から「建物址C」奥「建物址B」 )

 

 これまでに「飛鳥池工房遺跡」に関しては、① 石敷井戸址遺構、② 石組方形池址遺

構をブログに更新してきましたが・・・今回は「建物址・塀址」遺構です。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

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 平成3年(1991)、飛鳥池埋め立てに伴い奈良国立文化財研究所(現在の奈良文

化財研究所)・明日香村教育委員会による事前調査が実施され、飛鳥時代を中心とした

遺物が検出されたことから周知の遺跡となりました。

 

 平成9年(1997)、奈良県立万葉文化館建設に先立って奈良国立文化財研究所に

よる発掘調査が平成11年(1999)まで実施され、重要な知見が得られたことから

ミュージアム設計変更等が行われ、遺跡の保存が図られることになります。

 

 

 さて、この地点で検出した3棟の建物址と塀址遺構は建てられている方向などから、

ほぼ同時期に建造された遺構と推察されています。

 

 塀址遺構Aは東西方向の塀であり、8尺(約2.4m)間隔で建ち、塀址遺構Bは塀址

遺構Aと直交する南北方向に同じく8尺間隔で建てられており、区画構成されているこ

とが明らかとなっています。

 

 建物址Aは南北方向に桁行6間、梁間2間の規模(約78㎡)、建物址Bは桁行・梁

間ともに2間の規模、建物址Cは桁行4間、梁間2間の規模である。

 

 このことから、建物址Aは工房管理や収納に用いられた建物であり、建物址B・Cは

比較的小規模な工房と推察されています。

 

 

 かなりの期間放置されている「飛鳥池工房遺跡」💦徐々に在庫更新を進めてはいるん

ですけどね(>_<)

 

 世界文化遺産構成文化財が点在する明日香村ですが・・・、「飛鳥池工房遺跡」も是

非ゆっくり散策して欲しい場所です(^^♪ 

 

 (参考資料)

  現地案内板

奈良学友会関東支部 北関東ブロック主催 令和8年度 秋季見学会 開催の御案内!!

 

 さて、奈良学友会関東支部 北関東ブロック主催 令和8年度 秋季現地見学会を開催す

る運びが整いましたので、御案内致します。

 

 令和8年度 秋季現地見学会の開催地は、群馬県前橋市!!春季見学会同様💦またし

ても群馬県での開催となりましたが、今回の見学会は一味も二味も違います(^^♪ 

 

 《群馬の古墳研究の第一人者・前原豊氏と行く!

  『国史跡 総社古墳群 ~上野國の成り立ち~』With 講演会「山王廃寺と唐本塑像」

   と銘打ちまして、令和8年(2026)11月22日(日)に開催致します。

 

 元前橋市教育委員会・前原豊氏に総社古墳群ガイド&講演会をしていただけるという

夢のような見学会なんです!! 前橋市教育委員会にも御尽力賜りまして開催に漕ぎつけ

ました(^^♪

 

 開催要項は以下の通りです。

 

   集合場所  JR上越線 群馬総社駅 駅前ロータリー 12:00集合

 

   参  加  費     ¥1000(資料代含む)

         ※ 奈良大学通信教育部在校生、会員外は別途保険料 ¥100

 

   定 員    40名(応募多数の場合は抽選)

 

   申込期間  令和8年(2026)10月19日(月)~11月7日(土)

 

   見  学  先  二子山古墳 ➡ 愛宕山古墳 ➡ 宝塔山古墳 ➡ 蛇穴山古墳

                                   ➡ 前橋市総社歴史資料館(館内見学&講演会)

                ※ 全行程、前原豊氏によるガイド付です。

 

 今回も奈良学友会員および在校生が参加していただく見学会となります。一般の方は

NG💦💦ってことですが・・・今後は御参加いただけるように環境整備に努めていま

すので、もう少々お待ちくださいm(__)m 

 

 奈良学友会員ならびに在校生の方々の御参加申し込み、心よりお待ち申し上げており

ますm(__)m

 

 

 なお、現在北関東ブロックでは・・・令和9年度 春季見学会開催に向けた話し合いを

継続しております。令和9年度 春季見学会は《茨城県古河市》で行うことが決定済であ

り、見学先の選定を進めておりますことを御報告致しますm(__)m

飛鳥山碑(東京都北区)

 

  【 飛鳥山碑 】

 

           所在地: 北区王子1-1-3  飛鳥山公園 内

 

 

 総高218.5㎝、幅215㎝、厚さ34.5㎝。

 

 享保6年(1721)、徳川吉宗は飛鳥山に1000本の桜🌸を植樹し、遊園として

広く一般市民に開放し、元文2年(1737)3月、旗本領であった地を王子権現社の

社領としました。

 

 元文2年(1737)閏11月、これを記念して王子権現社別当・金輪寺住職の宥衛

が碑を建立します。石材は紀州藩から幕府に献上され江戸城吹上(滝見亭)にあったも

ので、碑文は儒臣・成島道筑(錦江)、篆額は尾張の医者・山田宗純の書である。

 

 碑文の文体は、五経の一つである尚書の文体を意識した格式高いもので、元享年間

(1321~1324)、豊島氏が王子権現を勧請したこと、王子・飛鳥山・音無川の

地名の由来、この地の人々がいかに王子権現を祀り続けてきたかが刻まれ、最後に吉宗

が飛鳥山に花木の植樹を行い、王子権現社に寄進した旨が刻まれた碑である。

 

 建立の経緯に関しては、成島道筑の子である成島和鼎(龍州)の記した「飛鳥山碑始

末」に詳細に記されています。

 

 

 人物の業績やその土地の事績が刻まれた石碑はあちらこちらに散在しており、その調

査だけでも調査研究の対象となる。草藪に囲まれた石碑に刻まれた碑文も判読してみる

と意外と楽しいものであろう。

 

 石碑を見かけたらどんなことが刻まれているのだろうと眺めてみるのも良いかもしれ

ませんよ(^^♪

 

 (参考資料)

   現地案内板

宇都宮酒造 純米吟醸 四季桜(栃木県宇都宮市)

 

 

 今回御紹介するのは、栃木県宇都宮市柳田町の宇都宮酒造《 純米吟醸 四季桜 》。

 

 明治4年(1871)創業した宇都宮酒造は、当初《 四季の友 》を銘柄にしていま

したが、二代目が詠んだ「月雪の友は他になし四季桜」という句から現在の銘柄となり

ました。

 

 柔らかな軟水・鬼怒川伏流水を仕込水、酒造好適米の山田錦・五百万石・美山錦、地

元産酒米を原料に用いて喉越しの良い日本酒🍶が醸造されています。

 

 全国的に流通量の少ない銘酒で、某も入手するのに直接酒造会社にFAX📠して配送

してもらいました(^^♪

 

shikisakura.co.jp

 

 是非、目にした際にはお手に取り、良ければ購入して吞んでみて下されm(__)m