日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

いくら年度末とはいえ💦💦

 

 間もなく年度末を迎え、処理しなければならない事案が山積みとなっております

(>_<)

 

 今年は例年になく、いくら年度末とはいえ処理し切れる質・量ではありません💦💦

 

 通常業務、夜のテキスト学習ってのに加えて・・・、

 

  ❶ 仕事関連

   ・「産業廃棄物収集運搬許可申請(更新)」書類の作成

      ➡ 4月上旬には森林事務所に提出したい💦

   ・「フォークリフト作業計画」書類作成

      ➡ 4月第一週には完成させなければならない(ようだ)。

 

     ※ 労働基準監督署に提出する書類なのだが・・・、下請けが書く書類ではな

       い気がしている。ちょっと書き方含めて要確認の書類である💦

 

  ❷ 日本史跡研究会関係

   ・「来期会費納入のお知らせ」の発送

   ・「令和5年度 通常総会 資料」の作成

   ・「日本史跡研究会 会報」記事の作成&発行

 

    当面、急ぎの案件は以上であるが・・・、現地踏査に関しても考えなければな

    らない時期でもある(+_+)  

 

  ❸ その他

   ・5/28(日)参加予定フリマ出店準備の推進

   ・GW踏査に関して(宮城県蔵王地域への出陣は決定!)

    a、宿泊先の手配

     b、各市町村のパンフレット手配

    c、踏査先のリストアップ作業

 

 ざっと考えただけでもこんな感じ(>_<) 某のバタバタした様子が目に浮かぶのでは

ないでしょうか?

 

 ひとつひとつ処理しなければならないのですが、優先順位(時には時間の余裕)に従

って処理するしかない(+_+)

 

 今夜はサッカー観戦⚽しながら、出来ること処理しますわ(^^♪  

豪商の館 信州須坂 田中本家博物館(長野県須坂市)

 

  【 豪商の館 信州須坂 田中本家博物館 】

 

    所在地:          須坂市穀町476

    休館日:    火曜日(10月は無休) 年末年始

    入館料: 大人 ¥900 中高生 ¥350 小学生 ¥250

 

        公式HPはこちら     https://tanakahonke.org/

 

 

 田中本家とは、田中一族の総本家という意で、略して田本と称されることもあった。

 

 享保18年(1733)、初代田中新八が穀物や菜種油、煙草、綿、酒造業などの商

売を起業し、二代当主・新十郎信房によって田中家の基盤が確立している。

 

 酒造業や金融業まで手広く商いしたことで巨財を為し、延享2年(1745)には須

坂藩・堀家1万石の御用商人となり、以後代々須坂藩御用達商人を務めるとともに、名

字帯刀を許される大地主へと成長した。

 

 

 三代信厚、五代信秀は士分に取り立てられ、須坂藩財政に関与したことで、その財力

は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商へと成長している。

 

 幕末維新、二度の大戦の動乱を経ても、田中家は連綿と続き、現在に至っている。

 

 平成5年(1993)、須坂市長を退任した故田中太郎氏が自宅の土蔵に収蔵されて

いた江戸中期から昭和までの衣装・漆器・陶磁器・玩具などの家財や蒐集品、文書を後

世に伝えるために私立博物館として開館しました。

 

 

 「田中本家博物館」は、収蔵品の質と量の豊富さから近世の正倉院とも称される。

 

 また当時の面影を伝える屋敷構えは、約3000坪と広大であり、約100m四方を

20の土蔵が取り囲む豪壮なものである。屋敷内の庭園は、天明年間(1781~17

89)に京から庭師を招いて作庭した池泉回遊式庭園である。

 

 

 館内のお休み処・龍潜では、田中本家に伝わる江戸時代の古文書の記録を基に料理を

再現した橘弁当(要予約)などのお食事🍴、抹茶🍵、珈琲☕を食せます!!

 

 

 入館料がややお高く感じられるかもしれません。がっ・・・、「田中本家博物館」は

入館料で維持管理が為されているため。

 

 年数度開催される企画展はもちろんのこと、平時から多くの来館者が訪れてくれるこ

とを切に願います。小林一茶をはじめ多くの文人墨客が訪れた田中本家を後世まで守り

伝えて行くことは非常に大切なことだと思います(^^♪

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット

本降りの雨☔の中での事前視察💦

 

 さて、ようやく雨☔も上がったようですね。

 

 今日は本降りの雨☔の中、高崎市もてなし広場で行われている「高崎人情市フリーマ

ーケット」を事前視察してまいりました(^^♪

 

 心配していた通り、この雨☔では出店者数も少なく、お客の数も少ない💦💦

 

 視察の目的のひとつである【客層の把握】、【どのような出品が多いか】の把握は出

来ませんでした💦💦

 

 しかしながら、主催者であるNPO法人高崎やる気堂理事長とは出店前にお会いし

て、名刺交換および僅かな時間でしたがお話が出来たのは収穫!!

 

 2023年度の予定をいただき、フリマ初出店は雨☔が降らない限り、5/28

(日)を予定することにいたしました。

 

 当初の予定とおり、学術書をはじめとした古書。古書だけではスペース埋まらないの

で、多少の物品をしっかり準備して予定日を迎えられるよう尽力いたします(^^♪

 

 まだまだ手探りの状態ですので、どうなるかは分かりません(+_+)何事も最初から上

手くいくとは思ってないですが・・・、失敗が少ないよう考えられる準備を整えたいと

思います(^^♪

歴史と文化を学ぶ会 令和4年度 第6回講演会に参加してまいりました(^^♪

 

 今日は久しぶりに吉井文化会館で開催された歴史と文化を学ぶ会 令和4年度 第6回

講演会に参加してまいりました(^^♪

 

 まず第一部は、高崎観音塚考古資料館学芸員・三浦茂三郎氏による「地方から見た継

体朝とその前後 -6世紀前半期の群馬の古墳時代-」。

 

 

 群馬県内の古墳から出土した遺物などから継体朝との関わりを考察された内容。

 

 第二部では、榛東村耳飾り館学芸員・角田祥子氏による「縄文時代の耳飾り」。

 

 

 茅野遺跡出土の耳飾りの系統分類など後々非常に役立つ内容でした(^^♪

 

 こうした講演会に参加することで得られることは多いですよ!!新たな知見を得るこ

とで、たとえ専門分野でなくとも「ここに行ってみたい」とか、「次はこんな話を聞き

たい」という意欲が湧いてきますよ(^^♪

 

 是非機会がありましたら、講演会に参加してみてくださいねm(__)m

改めて気を引き締め直さねばならぬ💦

 

 在宅特別スクーリング『文化財学演習Ⅱ』の単位認定、『歴史地理学』受講(結果は

間もなく判明するでしょう)。そして在宅特別科目習得試験『美術史概論』受験。

 

 捕らぬ狸の皮算用ではありますが、残すはスクーリング講義『文化財学演習Ⅲ』のみ

となり、それも今夏には受講可能の日程であることが判明しました!!

 

 これで計画通りならば、9月末をもって一応奈良大学通信教育部を卒業という運びと

なります。

 

 博物館学芸員資格取得科目『博物館展示論』、『博物館情報・メディア論』のテキス

ト学習は今後も継続し、レポート課題&科目習得試験合格を目指すことに集中すれば良

い状況になりましたが・・・(+_+)

 

 最近、なかなかテキスト学習に気を向けることがなくなっています💦💦💦

 

 皆様も熱狂したであろうWBC⚾中継、そして今夜はサッカー⚽日本代表対ウルグ

アイ代表中継に気を取られてしまい💦💦💦

 

 本当に改めて気を引き締め直さなければなりません(>_<) 

 

 今後の短期的な目標として、博物館学芸員資格取得科目『博物館展示論』テキスト学

習終了を掲げ、明日以降しっかり学びを継続して行きます。

 

 残り125頁。これを5月上旬までに終わらせ、6月9日までにレポート課題を提

出。卒業までに科目習得試験合格は完遂したいと思います(^^♪

 

 学びのリズムを取り戻すことの困難さは身に染みているので、1日1頁でも1行でも

良いのでしっかり学びを継続しなければぁ!!

山子田城跡(群馬県北群馬郡榛東村)

 

  【 山子田城跡 】                  評価 ★

 

   別  名:         桃井城、桃井西城

   所  在  地: 北群馬郡榛東村山子田字御堀

   築城年代:          鎌倉初期?

   築  城  者:   土屋大学権介義清?

   区  分:               平 城

   現  状:                  耕 地

 

 

 鎌倉時代初期、相模国の豪族であった土屋大学権介義清が、この地の地頭として赴任

した際に居館として築いたのが始まりとされる。

 

 『吾妻鏡』の和田合戦の描写に、土屋一族の郎党に上州の武士がいたことが記されて

おり、この地の武士だったのではないかと推察される。

 

 鎌倉末期から南北朝時代には桃井郷領主で足利系源氏の桃井播磨守直常の本拠となっ

たようである。直常は当初足利高氏(尊氏)に従って京都・六波羅探題を攻め落とした

のですが・・・、後に反旗を翻し(直常に言わせたら尊氏がそうだったのでしょうけれ

ども💦)南朝方の武将として各地を転戦。応安4年(1371)以降、その消息は知ら

れていない。直常は上野国桃井郷に隠棲したとも、越中国松倉で病死したとも、また同

国岩瀬城で自害したともいう。

 

 いずれにしても、尊氏に反旗を翻したのち、桃井郷は桃井一族で北朝方(尊氏方)の

桃井義盛の領地となったとされる。

 

 戦国期には、桃井地衆が城を領していたとされ、東西約210m、南北約190mの

規模の城郭を形成していたと推定されている。

 

 上杉謙信麾下の桃井義孝(讃岐守直光、清七郎と同一人物とされる)は桃井氏末裔で

あるが、桃井氏は各地に子孫を連綿と伝える一族である。

 

 天正18年(1590)、北条氏滅亡まで「山子田城」は機能されていたようである

が、詳細な歴史は不詳である。

 

 

 遺構として櫓台跡・土塁と想定されるものはあるが、「御堀の五輪塔」はしっかり確

認してもらいたい史跡である。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 また城館跡ではないが、榛東村には茅野遺跡出土の見事な耳環が展示されている「榛

東村耳飾り館」もあるので、見学して頂きたいと思います(^^♪

 

 (参考資料)

   群馬県古城塁址の研究 下   山崎一  群馬県文化事業振興会

   現地案内板

須坂の土笛(長野県須坂市)

 

 

 須坂土笛の会によって作成されている郷土玩具が「須坂の土笛」である。

 

 かつて須坂を訪れた際には販売されていなかった(気付かなかった?)気がする。

 

 今回「田中本家博物館」ミュージアムショップで販売されていたので、早速購入した

(^^♪

 

 その由緒は不明であるが、どうやら起源は善光寺参拝土産としての土笛にあるよう

だ。

 

 最近、なかなか遠出が出来ないので💦郷土玩具コレクションが増加していない。しか

し、「須坂の土笛」のようにこれまで訪れた地であってもまだまだ知らないものがある

のかもしれない。