日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

令和5年度 第1回博物館研修 特別展『中尊寺金色堂』~上野公園界隈踏査も兼ねて~ その4

 

 さて、いよいよ上野公園界隈踏査のメイン!!と、その前にブログ更新も考え

て・・・、

 

 🔵 旧因州池田屋敷表門    台東区上野公園13 

 

 

 岡山藩池田家屋敷の表門が「東京国立博物館」内に移築されていますので撮影。

 

 そして、博物館研修を日曜日開催とした大きな理由(まぁ、その日しか某の予定が空

いてなかったってのが理由なんですけどね💦)である史跡に。

 

 🔵 旧東京音楽学校奏楽堂     台東区上野公園8-43

 

 

 日本初の本格的な音楽ホールであり、荒城の月で有名な滝廉太郎をはじめとした多く

の音楽家を輩出している。

 

 あまり知られていないですが・・・某、中学校まではクラッシックしか聞いていなか

ったので、音楽好きなんですわ。パガニーニなんて最高🎵

 

 と、話が逸れてしまいましたが💦当日はホールで演奏が聴けたんですよぉ(^^♪

 

 ですが・・・開演時間前に入館しておらず、ホールから漏れてくる音色のみ💦

 

 

 さて、一応これで当初の予定は終了なのですが。延長戦に突入!!延長戦の候補に考

えていたのが「国立近現代建築資料館」で開催されていたアイヌに関する展示見学だっ

たのですが、これまでの踏査で午後2時半過ぎ。ここからの移動も考えるとあまり時間

的な余裕はありません(>_<)

 

 ということで、お茶でもして解散しようということになりまして・・・JR日暮里駅

方面に移動。

 

 🔵 旧博物館動物園駅    台東区上野公園13-23

 

 

 京成電鉄の旧駅舎である。東京帝室博物館や恩賜上野動物園東京音楽学校などの最

寄り駅として開業するも老朽化や乗降客の減少などから廃止されている。

 

 駅舎として東京都選定歴史的建造物に指定されたのは初であり、これも立派な文化財

ですわ(^^♪

 

 🔵 寛永寺根本中堂     台東区上野桜木1-14-11

 

 

 旧本堂(根本中堂)は上野戦争で焼失。明治に入り、埼玉県川越市喜多院本地堂が

移築されたものが、現在の寛永寺本堂(根本中堂)。

 

 根本中堂周辺には多くの文化財があるのですが・・・、本日はちと時間的余裕がない

のでまた次回に💦

 

                             その5 に続く

第2回フリマ出店に向けて~ぞくぞく新規入荷💦~

 

 今週末の24日(日)、高崎もてなし広場において第2回フリマ出店致しますが・・

それに向けて古書もぞくぞく新規入荷しております。先週末も10冊以上の入荷があり

ました(^^♪

 

 正直申しますれば、古書の在庫は倉庫内に数多く💦在庫品が増加していく一方(+_+)

在庫が減ることなければ、いずれは倉庫が満杯になってしまうなんて思いも少なからず

抱いております💦

 

 第2回フリマ出店で多少でも古書が売れてくれないかなぁなんて淡い期待を抱きなが

ら、入荷した古書の整理を行っていますが、古書店の悩み・・・仕入れた古書が在庫と

していつまでも売れることなく💦最終的な処分(つまりはこの世の中から本としては永

遠に失われること)も今後考えていく必要もあるかもしれません💦💦

 

 

 将来的な不安を考えても仕方ないっすね。今週末に迫った第2回フリマ出店に向け、

初回フリマの際の反省点を活かしてより良い結果に出来るよう、しっかり準備を進めた

いと思います(^^♪

 

 週末の天気も気になるところですが・・・是非みなさま。高崎もてなし広場にお越し

いただきますようお願い申し上げますm(__)m

下調べなしじゃこんなもんよ💦 ~ちょっと蕎麦まで~

 

 今日はちょっと蕎麦(信州小諸)まで、下調べ全くなしでお出かけ。

 

 主目的は、➀ お彼岸の花🌸を買うこと、② 久々に信州蕎麦を食すこと。

 

 昨夜、どこか行くぞ!って軽く話しただけだったので、全く下調べもなく道すがら何

かしらかの史跡あれば・・・ってな感じだったのが、そもそも間違いの元💦

 

 

 先ずは「道の駅 ヘルシーテラス佐久南」でお買い物。ここはお花が豊富で安いと母の

お気に入りの道の駅なのだ。ということで、目的の1つは完遂。

 

 でっ、蕎麦どこで食べる?ってことも考えてなかったので・・・(失礼な言い方では

ありますが💦)小諸の「丁子庵」で良いかって感じで小諸に向かう🚗

 

 毎度毎度おなじ道を走っても新たな発見はないので・・・普段と違う道を行くことに

🚗でも、ここは何処走ってんだってな感じになりました💦

 

 🔵 塩井       北佐久郡立科町塩沢

 

   塩沢という地名がこの井戸から生まれたとされるとある。

   これも立派な立科町文化財なのだ!!

 

 たしか小諸に向かっていたはずが・・・かなり遠回りしているルート💦正午過ぎた

し、小諸へとひた走ります🚗💦 最後の最後で「うん?」と気になる物件を通り過ぎま

したが・・・これは次回以降に確認することに。

 

 でっ、無事に小諸の「丁子庵」さんに辿り着き、信州蕎麦を食して🍴

 

 🔵 萬屋骨董店店舗兼主屋    小諸市本町3-2-21

 

   北國街道にある骨董店なのだが、旧小諸銀行ということで立派な文化財っす。

 

 全く下調べもしてないので、建造物 1 史跡 1のみの攻略💦💦目的である信州蕎麦

を食べられたし、今後踏査できそうな物件も発見?したから良しとしよう。無為な1日

でなかったことに感謝感謝m(__)m

秋色桜(東京都台東区)

 

  【 秋色桜 】

 

   所在地: 台東区上野公園1

 

 

 江戸のはじめから上野は桜🌸の名所として知られており、桜樹の中には固有の名を付

けられたものもある。その代表的な桜樹が「秋色桜」である。

 

 元禄年間(1688~1704)、日本橋小網町の菓子屋の娘・お秋が花見客で賑わ

う井戸端の様子を

 

          井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔

 

 

 と詠み、桜の枝に結んだところ、輪王寺宮に賞せられ、一躍江戸中で大評判になった

という。

 

 お秋は、9歳で室井其角の門を叩き、俳号を菊后亭秋色と号した。其角没後はその点

印を預かるほどの才媛であり、上記を詠んだ時13歳だったと伝わる。

 

 その俳号から、以来この桜は「秋色桜」と呼ばれることとなった。現在の桜は昭和5

3年(1978)に植え継いだもので、九代目の桜と想定されている。

 

 句碑は、昭和15年(1940)10月、聴鴬荘主人によって建立されたものであ

る。

 

 

 清水観音堂の一角にある「秋色桜」。枝垂桜だろうか。桜開花の時期は上野公園は周

知の通り大賑わいなのでどのような姿なのかはわからない💦💦御興味のある方はお花

見で上野公園に陣取り、その咲き誇りぶりを御確認下さいm(__)m

 

 (参考資料)

   たいとう名所図会 史跡説明版ガイドブック  台東区教育委員会

   現地案内板

令和5年度 第1回博物館研修 特別展『中尊寺金色堂』~上野公園界隈踏査も兼ねて~ その3

 

 今回の博物館研修参加者5名が勢ぞろいしたところで、午後の踏査開始です(^^♪

 

 🔵 上野大仏とパゴダ    台東区上野公園4

 

 

 寛永8年(1631)、越後村上藩主・堀直寄によって造立されたが、正保4年(1

647)、地震によって倒壊。

 

 その後、木喰僧浄雲が江戸市民の浄財を得て大仏を再興。幾たびの修復を得ていた

が・・・、大正12年(1923)の関東大震災で大仏の面部が落下💦さらに第二次大

戦中の金属供出令によって胴体・脚部が供出されたことで、面部のみが残されている。

 

 「落ちない大仏」ってことで合格祈願に訪れる受験生は多く、この日も稚内から高校

生3人組が来ていたのだが、参加者の一人と会話していた。

 

 

 上野観光連盟が上野公園の観光名所として建設した「パゴダ(仏塔)」。塔内には薬

師三尊像が安置されています。

 

 🔵 お化け灯籠        台東区上野公園4

 

 

 先日ブログに先行更新したので・・・こちらをど~ぞ。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 「お化け灯籠」を見学して・・・上野東照宮参道に。

 

 

 まだ桜🌸の開花にはちと早かったですが、間もなく花見客で賑わうことでしょう。参

道からは「上野動物園」敷地内にある・・・

 

 🔵 旧東叡山寛永寺五重塔    台東区上野公園9 東京都恩賜上野動物園

 

 

 寛永16年(1639)、火災によって焼失したが、甲良宗広らによって再建され、

戊辰戦争・第二次大戦の戦火からも焼失を免れています。

 

                         を遠目から眺めました。

 

 🔵 上野東照宮       台東区上野公園9

 

 

 慶安4年(1651)、徳川家光によって大規模に造り替えられた社殿が現存してい

る。

 

 「上野東照宮」内部も拝観する予定ではありましたが・・・それは後日に期すこと

に💦

 

 🔵 銅燈籠      台東区上野公園9

 

 

 参道には五十基の「銅燈籠」が立ち並んでいる。これらは諸国の大名が東照大権現

前に奉納したもので、竿部には寄進した大名の姓名と官職名、奉納年月日等が刻字され

ており、1基1基確認するのも面白いかもしれない。

 

 がっ、それも時間が許すとき。今回は何基かを確認するに留めている。

 

 

 さて、今回の博物館研修。メインの1つが東京国立博物館 特別展『中尊寺金色堂』見

学。そしてもう1つにそろそろ向かうことになるのですが・・・それは次回に💦

 

                             その4 に続く

了翁禅師塔碑(東京都台東区)

 

  【 了翁禅師塔碑 】

 

          所在地: 台東区上野桜木1-14-11 寛永寺境内

 

 

 了翁禅師は江戸時代前半の黄檗宗の僧侶で、俗姓は鈴木氏、了翁は号、諱名は道覚。

出羽国雄勝郡八幡村前田(現在の秋田県湯沢市幡野)に生まれ、承応年間(1652~

1655)、隠元禅師に師事し、明応2年(1656)、隠元黄檗宗萬福寺開山に尽

力している。

 

 のちに諸国を巡る途中、霊薬の処方を夢に見て修得し、錦袋円と命名し、上野不忍池

池畔で薬屋を営み、俗甥の大助に任せた。錦袋円は数年のうちに数千両の利益を得るほ

どの評判であったという。

 

 寛文10年(1670)、利益を元手に天海版大蔵経6323巻を購入し、輪王寺

代・守澄法親王の許しを得て不忍池に小島を築き、経蔵を建てて大蔵経を納めている。

 

 寛文12年(1672)、上野寛永寺境内に勧学寮を建立。寮生に出されたおかずに

は了翁が考案した漬物が出されたのだが・・・輪王寺宮がこれを食して美味とし福神漬

けと命名したという。

 

 天和2年(1682)、天和の大火(八百屋お七の火事)では被災者救済に私財を投

じるなどの功績によって輪王寺宮から勧学院権大僧正法印位に任じられています。

 

 宝永4年(1707)5月、78歳で入寂し、萬福寺天真院に埋葬されました。

 

 「了翁禅師塔碑」は禅師の業績を刻んだ顕彰碑であり、生前に建立されたものです

が、建立された場所、寛永寺境内に移築された経緯などは不明である。

 

 

 「寛永寺根本中堂」境内には多くの史跡が存在しているが、「了翁禅師塔碑」もその

一つである。了翁禅師の輝かしい業績のいくつかを上記したのだが・・・その人生は教

育文化、社会福祉、公共事業など各種社会事業に貢献したもの。

 

 今の政治家に見習ってもらいたい歴史上の人物って思うのは某だけでしょうかね💦

 

 (参考資料)

   たいとう名所図会 史跡説明版ガイドブック  台東区教育委員会

   現地案内板

お化け灯籠(東京都台東区)

 

  【 お化け灯籠 】

 

   所在地: 台東区上野公園4 

 

 

 高さ6.06m、笠石周囲3.63m。その大きさから「お化け灯籠」と称される石造

物である。京都南禅寺、名古屋熱田神宮の大灯籠とともに日本三大灯籠に数えられてい

る。

 

           奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之

           東照大権現御宝前石燈篭

             寛永八年辛未孟冬十七日

 

 と刻字されており、寛永8年(1631)、佐久間大膳亮勝之によって上野東照宮

寄進されたことを知ることが出来る。

 

 当時、上野東照宮は創建間もなく、大鳥居・銅燈篭・石燈篭などわずかしか奉納され

ていない状況であり、勝之は他大名家に先駆けて燈篭を寄進したことが知られている。

 

 『江戸図屏風』には、寛永寺参道から上野東照宮に分岐する中央に描かれており、寄

進当初の位置は現在地とは異なっている。

 

 さて、佐久間勝之という人物であるが・・・織田信長家臣・佐久間盛次四男で、母は

柴田勝家の姉とされる。信長家臣として高遠攻めで初陣を飾り、のちに佐々成政の家臣

として末森城の戦いに参加。成政没落後は一時北条氏政の元に身を寄せるも、秀吉から

召し出され、蒲生氏郷麾下となる。その後、関ケ原では家康率いる東軍に加勢し、大坂

の陣での戦功もあり信濃長沼藩18,000石の大名となっている人物である。

 

 

 現在は周囲をフェンスで囲まれており、近づくことは出来ないが、その大きさには目

を見張るものがある。だが参道を通る参拝者の多くは「お化け灯籠」を見学することは

少ないようだ。

 

 「日本三大〇〇」って、見なきゃ損ですよぉ!!

 

 (参考資料)

   たいとう名所図会 史跡説明版ガイドブック    台東区教育委員会