日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

第75回 奈良 正倉院の宝物 <期間限定> 手ぬぐい

 

 

 奈良大学通信教育部卒業式参列のために奈良を訪れた際、奈良物産館で一目惚れして

購入したのが「第75回 奈良 正倉院の宝物<期間限定>手ぬぐい」である。

 

 正倉院の宝物がデザインされており、使うことなく保存は決定しています(^^♪

 

 こうしたグッズ、博物館経営(グッズ販売収益)を出すためには有効ですよね。

 

 今後もこのようなグッズを見つけたら購入していきたいと思います(^^♪

唐招提寺 新寶蔵(奈良県奈良市)

 

  【 唐招提寺 新寶蔵 】

 

           所  在  地:    奈良市五条町13-46 唐招提寺境内

   開館期間: 3/1~6/30  9/1~11/30  12/31~1/3

         ※ 8/10頃に数日間の臨時開館があります

   拝  観  料:     大人 ¥200    中学生 ¥100

         ※ 国宝・鑑真和上坐像 特別公開時

                                             大人 ¥1000 中学生 ¥400

 

 

 昭和45年(1970)、唐招提寺に伝来する多くの貴重な文化財を管理・収蔵する

ために建造された。

 

 それまで金堂に安置されていた木造大日如来坐像のほか、旧講堂に安置されていた薬

如来立像・十一面観音菩薩立像など、奈良時代末期に製作された木彫像などが収蔵さ

れています。

 

 

 諸像、宝物を間近で鑑賞することが出来るので、開館期間中に(もちろんそれ以外の

期間でも💦)唐招提寺を訪れて欲しいですね。

 

 唐招提寺は非常に落ち着いた趣のある古刹。修学旅行生も居ないのでそう感じるので

しょうか?また訪れたい南都の古刹のひとつです(^^♪

 

 次は「鑑真和上坐像」観たいなぁ。期間が限定されているのでなかなか難しいんです

けどねぇ💦

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット

年内にしなければならないこと💦 ~ もぉ日が暮れた(+_+) ~

 

 2023年も残すところ27日余。師走というくらいですから年内にしなければなら

ないことは多々ある。

 

 今日も朝から少々お仕事をして、午後はのんびり身体を休めつつ「年賀状」でも書き

始めるつもりでした。

 

 がっ、もぉ日が暮れた(+_+)って書いているくらいですから・・・身体をちょっと休

めるつもりがこの時間まで寝入ってしまったのであります💦💦💦

 

 ブログも今頃書いているくらいですからね💦💦💦

 

 

 さて「年賀状」だけではなく近々に処理する必要のあることもあるので、処理できる

ことから思いつくままに始めますかね。

 

 まだまだ身体を休めたいところなれど、限られた時間を有効活用しなければね(^^♪

 

 とまぁ、なんだかんだ言ってはいますが・・・確実に予定が狂ったことに焦っている

某であります💦💦💦

法相宗 大本山 興福寺 三重塔(奈良県奈良市)

 

  【 法相宗 大本山 興福寺 三重塔 】

 

             所在地:   奈良市登大路町48

     公開日: 毎年7月7日のみ内陣公開

 

 

 高さ19.1m、初層:方三間4.8m。

 

 康治2年(1143)、崇徳天皇中宮・皇嘉門院聖子が建立したが、治承4年(1

180)、平重衡による南都焼き討ちで焼失。間もなく再建されたとされ、北円堂とと

もに興福寺最古の建造物である。

 

 初層内部の四天柱をX状に結ぶ板には東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀

来、北に弥勒如来を各千体描き、さらに四天柱や長押、外陣の柱や扉、板壁には宝相華

文や楼蘭、仏や菩薩などが集う浄土の風景、貴族風の人物などが描かれています。

 

 明治に入り、神仏分離令による廃仏毀釈の風潮が治まる頃、内陣(東側須弥壇)に、

かつて興福寺子院であった世尊院の弁才天坐像とその諸尊である十五童子遷座し安置

しました。

 

 

 興福寺最古の建造物である三重塔ですが・・・、一般の人はやはり「南円堂」や「五

重塔」、中金堂・東金堂が散策のメイン💦💦あまり注目されることはないみたい(+_+)

 

 しかしながら、「北円堂」と併せて興福寺散策の際には必須の建造物ですから、外観

だけでも見てもらいたいものです。

 

 (参考資料)

   現地案内板

臨江閣茶室(群馬県前橋市)

 

  【 臨江閣茶室 】

 

            所在地: 前橋市大手町3-15

         

 

 明治17年(1884)11月、臨江閣本館建設などに対する前橋市民の惜しみない

協力に感激した群馬県初代県令・楫取素彦、県庁職員の募金によって、京都の宮大工・

今井源兵衛の手で建設されました。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 桁行5.4m、梁間4.9m。茶席は木造平屋建入母屋造り桟瓦葺。京間四畳半・本勝

手・下座に床の間を設けています。座敷は木造平屋建寄棟造り桟瓦葺。八畳の書院が設

けられています。

 

 建築費用は千円で、現在の一千万超の費用💦賓客接待に使用されたのは言うまでもあ

りませんね。

 

 

 臨江閣本館、別館に関しては拝観料無料で、特別な事情がない限りは休館日(毎週月

曜日、年末年始)以外は拝観できます(^^♪

 

 がっ、茶室に関しては・・・外観のみの見学となります💦

 

 前橋城址からも散策圏内ですので、是非「臨江閣」にお越しいただきたいと思います

m(__)m

 

 (参考資料)

   現地配付パンフレット

2023年11月 月次レポート!!

 

 明日から師走。12月は月次報告&1年を振り返ることになりますので・・・11月

の月次レポートは1日前倒しとなります💦

 

 さて、11月はどんな1ヶ月だったのでしょうか?

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 ➀ 仕事面

 

   通常業務は集計は先月同様に未実施ですが・・・、おそらく前年比割れかなぁ💦

 

   資源物収集に関してはほぼ横ばいの状況ですから、今後も新規取引先開拓が必須

   になるかな。声がけしたい方々は多々いるのですが、声がけもきっかけが大切な

   んですわ(+_+)

 

 ② 奈良大学通信教育部での学び

 

   可能な限り『博物館展示論』テキスト学習は進めています。残り86頁💦💦

 

 ③ 出陣面

 

   踏査面では行田市出陣のみ。史跡2、古墳2、神社仏閣1のみですが、良い古墳

   見学は出来ました(^^♪

 

   また新潟県南魚沼市「金屋遺跡」「六日町藤塚遺跡」発掘調査現地説明会に参加

   した他、安中市学習の森「碓氷関所」&高崎市観音塚考古資料館「剣崎長瀞西遺

   跡を考えるⅠ」の2ヶ所の企画展見学を行いました!

 

   歴史と文化を学ぶ会講演会に参加し、岡山理科大学名誉教授・亀田修一に御挨拶

   できたことは収穫です(^^♪

 

 ④ 日本史跡研究会&奈良学友会活動

 

   日本史跡研究会 令和5年度第2回現地踏査に向けて参加者確保に尽力しました。

   がっ、現在までのところ4名(先月比+1名)。まだ実施まで日にちはあります

   から1名でも多くの方に参加してもらえるよう声がけしてまいります💦

 

   奈良学友会活動としては、㈱カルチャー 戸田書店榛名店さんに奈良大学通信教育

   部案内パンフレットを設置していただいた他、歴史と文化を学ぶ会講演会におい

   て案内パンフレット配布を実施しました。

 

   こうした大学案内パンフレット配布はこれまで実施したことがなく、意外と好反

   応!!これは一応の成果となるでしょう。

 

 ⑤ 古書店設立に向けて

 

   高崎もてなし広場で実施された「高崎人情市」に出店予定でしたが・・・参加を

   見合わせる事態になったことは無念でした💦💦

   

   しかしながら物品&古書の新規入荷もあり、次回フリマ出店に向けて取り組み強

   化していこうと思います。

 

   次回フリマ出店時期&場所に関しても目下調査検討中。いずれにせよ、第2回出

   店に向けて早々に決定したいと思います。

 

 

 総じて、成果があったようでもあり💦なかったようでもあった1ヶ月となりました

(>_<) 

 

 奈良大学通信教育部案内パンフレットが思った以上に配布できたことだけでも良しと

しますかね。小さな取り組みかもしれませんが、今まで実施してこなかったことを考え

れば評価してもらえるかな?

 

 今後もこうした小さな取り組みをコツコツ推進してまいります(^^♪

荘小太郎頼家供養塔(埼玉県本庄市)

 

  【 荘小太郎頼家供養塔 】

 

      所在地: 本庄市栗崎155  宥勝寺境内

 

 

 荘小太郎頼家は児玉党の祖・遠峰惟行より宗家を継ぎ、『平家物語』で寿永3年(1

184)、源範頼に従い一ノ谷の戦い平重衡を生け捕った荘太郎家長の嗣子であった

人物。

 

 頼家はこの戦いで討死してしまい、荘氏本宗家の直系は途絶えることになる。頼家は

若年であり嫡子はなかったことから、弟の三郎右衛門家次が養子となり本宗家を継いで

いる。

 

 その後、荘氏本宗家は備中国草壁荘地頭に任じられたことから備中国に移り土着し

た。児玉本宗家は家長の四男・四郎左衛門尉時家が継ぐこととなり、本庄氏を名乗るこ

ととなる。

 

 

 建仁2年(1202)、頼家夫人・妙清禅尼は頼家の冥福を祈るため宥荘寺を建立す

るが、延元2年(1337)、南朝北畠顕家北朝方に与していた本庄氏・児玉氏と

の薊山合戦で寺は焼失。天文24年(1555)、頼暁という紀州の僧侶によって宥勝

寺として再建されている。

 

 

 さて、荘小太郎頼家供養塔は五輪塔であるが・・・、建仁2年(1202)建立され

たものであるかは不明である。

 

 五輪塔平安時代後期には成立したと推定されているが、風化度合いから推察すれ

ば、当初は鎌倉時代に武蔵武士の信仰に強く影響を受けた緑泥片岩の板碑であった可能

性も考えられるのではないだろうか。

 

 まぁ、某。石造物も専門外っす💦💦💦石造物に御興味ある方は宥勝寺を訪れて調査

してみて下さいm(__)m

 

 (参考資料)

   現地案内板