日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

番匠峰古墳群1号墳(栃木県矢板市)

 

  【 番匠峰古墳 】

 

   所在地: 矢板市幸岡字番匠峰1954  矢板運動公園内

 

 

 昭和49年(1974)、国体に伴う矢板市運動公園造成のため矢板市教育委員会

よって、敷地内に所在する6基の緊急発掘調査が実施されている

 

 「番匠峰古墳群1号墳」は傾斜を利用し、半地下式横穴式石室をもつ半円状墳丘(円

墳)であり、葺石はなくローム層まで掘りこんだ周溝が北西部で確認されている。

 

 

 埋葬施設の側壁石組みは河原石であり、石室は堅固な造りでなかったものと考えられ

ています。

 

 遺物としては、石室内から長さ80.9㎝の直刀、長さ37.4㎝の小直刀、鏃17、

切子玉7、菅玉1,耳環4、刀子4などが出土しており、遺物の多様さから追葬が行わ

れていたと推察されています。

 

 墳丘築造状況に省力化の傾向が見受けられること、出土遺物などから築造年代は古墳時代末期(6世紀末から7世紀初頭)と推察されています。

 

 

 「番匠峰古墳群1号墳」は調査後に旧位置から約80m東微北に移築復元されていま

す。運動公園内ということで駐車場も完備されていますので、古墳マニアの方は是非お

越しくださいませm(__)m

 

 なお、『矢板市史』にも墳丘の詳細な大きさなどは記載されておりません💦ご了承下

さいませ。

 

 (参考資料)

   矢板市史       矢板市史編纂委員会

   現地案内板

気晴らししたいものです💦💦

 

 連日の酷暑🌞。この時期の仕事の多忙さ&人間関係の難しさ💦💦日々、これらのこ

とが心身を蝕みつつあるように感じている(>_<)

 

 それに加えて・・・今秋にはまたまた💦最低賃金の引上げ。中小企業はどうかはわか

りませんが、大多数の零細企業にとっては正に生死を分ける秋になると思われます。

 

 一体この国はどこに向かおうとしているのでしょうね。っと💦ここで政治・経済の自

論を展開するのは控えましょう。

 

 

 今週末の土曜日は久々のオフ。史跡巡り、博物館企画展見学、温泉♨、美味しい食

事・・・、少しでも気晴らしして日頃の憂さ・鬱憤を晴らしたいもの。

 

 あそこに行きたい、行かなければって思う場所は多々ありますから、明日にでもゆっ

くり検討したいと思います。

 

 1日くらいでは気晴らしにはならないでしょうけれども、まもなく短いながらもお盆

休みもありますからね。

 

 心身の疲労の原因は理解していますから、そちらも何とか対処しなければならないで

しょう。日々チャンスをうかがい、解決に導こうと思います(^^♪

都立上野恩賜公園西郷隆盛像(東京都台東区)

 

  【 都立上野恩賜公園西郷隆盛像 】

 

   所在地: 台東区上野公園1 

 

 

 明治22年(1889)、大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷隆盛の逆賊の

汚名が解かれたのを機に、吉井友実ら旧薩摩藩出身者が中心となり「西郷隆盛像」建設

計画が始まった。

 

 宮内省から500円の下賜され、さらに全国25,000人余の寄付金を元手に、西郷

像は高村光太郎(傍らの犬は後藤貞行作)、鋳造は岡崎雪聲、台座は塚本靖が設計して

いる。

 

 遠近法で適正に見えるよう作製された「西郷隆盛像」は、身長370.1㎝、胸囲25

6.7㎝、足55.1㎝。造像に際して、西郷隆盛の真実の姿が望まれたが、西郷その人

を撮影したとされる信憑性のある写真が1枚も残っておらず、イタリア人画家であるエ

ドアルド・キヨッソーネの描いた肖像画(顔の上半分を西郷従道、下半分を大山巌をモ

デルにしたとされる)を基に造像されたとされる。

 

 明治31年(1898)12月18日、除幕式が行われたのだが・・・、式に招かれ

た西郷夫人糸子は「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」と薩摩弁で周囲に呟い

たという逸話は有名である。

 

 造像後、像めがけて紙玉を投げつけるという奇妙な風習が流行し、昭和に入っても鼻

に当たると出世するとされたことから、見かねた鹿児島県人会らは清掃を買って出たと

いう。また、大正12年(1923)の関東大震災委の際には尋ね人の貼り紙を貼る掲

示板代わりにされたり、窃盗未遂も度々起こっている。

 

 

 今なお【上野の西郷さん】と呼ばれて人々に親しまれており、都立上野恩賜公園の象

徴的な像である。

 

 像をみると・・・上野(東京)に来たって感じがするのは某だけではないはずです。

これからも大切にしましょうねぇ(^^♪

奈良学友会 近畿支部 2024秋季例会&研究発表会の御案内!!

 

 

 令和6年(2024)11月30日(土)、奈良大学通信教育部棟2F講義室におい

て奈良学友会 近畿支部秋季例会&研究発表会が開催されます!!

 

 講演は・・・奈良大学文学部文化財学科教授・原口志津子氏による『平安時代の絵巻

鳥獣戯画を題材に』

 

 そして、奈良大学通信教育部卒業生3名による研究発表会では

  ①  紀州水軍領主安宅氏とその城館群

  ② 近江大津宮期のみやこの範囲

  ③ 安久川古墳群の築造に関する地学的観点からの検証

                          と題して発表が行われます。

 

 

 参加申し込み期限は10/31(木)。定員先着70名です。

  ※ 参加希望者は早めにメールでお申し込み下さい。

 

 なお本告知は、奈良学友会員および奈良大学通信教育部卒業生(学友会非会員)、奈

良大学通信教育部在学生向きです!!御了承下さいませm(__)m

 

 奈良大学通信教育部は歴史好きな方々の御入学をお待ちしております。御興味ある方

は是非資料請求だけでもして下さいね(^^♪

橘樹神社(神奈川県川崎市高津区)

 

  【 橘樹神社

 

           所在地: 川崎市高津区子母口122

 

 

 『新編武蔵風土記稿』には、古くは立花社とあり、「村(武蔵国橘樹郡橘樹郷子母口

村)の西に寄てあり、祭神は日本武尊弟橘媛の二神なり」と記されている。

 

 社伝によれば、「日本武尊東征の際海が荒れ、弟橘媛はその身を投じ海を鎮た。やが

て入水した媛の御衣・御冠の具だけがこの地に漂着した」とあるが、真偽のほどは定か

ではない。また、この言い伝えは千葉県茂原市の「橘樹神社」にも伝わっている。

 

 橘樹郡の名起こりも「橘樹神社」からと伝えられるが、創建年代は定かではない。

 

 元禄元年(1688)に再建、嘉永4年(1851)に社殿の建て替えが行われてい

ると伝わっていることから、少なくともそれ以前の創建であることは疑いない。

 

 現在の社殿は、昭和42年(1967)、老朽化によって改修・再建されたものであ

る。

 

 

 子母口の鎮守として古くから地域の人々の篤い信仰を集めている神社のようで、小さ

な神社ではあるが踏査時も氏子さんであろうか?社殿裏手の倉庫前で何やら作業をされ

ていた。

 

 橘樹郡と関わりある神社であることから、周辺の史跡散策の際には押さえておくべき

神社であろう。

 

 (参考資料)

   現地案内板

令和6年度 第1回現地踏査『㊗川崎市初の国史跡指定 橘樹官衙遺跡群 遅ればせながら踏査』 ~ その3 ~

 

 さて、前回のあらすじは・・・

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 それにしても、今日も現地踏査の時のような灼熱の太陽🌞 何もする気力はないのだ

が💦前に進むためには一つ一つ片づけていかなければなりません。

 

 さぁ、今回の踏査は暑さを考慮してのミニ踏査でしたので ~ その3 ~で完結となり

ます。

 

 

 川崎市高津区は地図上では平面ですが(当然なんですけど💦)、実際踏査してみると

起伏のある地形。かつて海岸線だったことが体感できる一方、酷暑の中では体力を奪い

ます💦💦

 

  🔵 子母口冨士見台古墳    川崎市高津区子母口54-173

 

    これに関しては事前に更新済です。

 

nihonshiseki.hatenablog.com

 

 

  🔵 橘樹神社       川崎市高津区子母口122

 

 

 創建年代は定かではないが、古くから子母口の鎮守として人々から篤い信仰を集めて

いる。

 

 境内には・・・

 

 

                     山岡鉄舟筆の碑文がありました。

 

  🔵 子母口貝塚        川崎市高津区子母口54-148

 

 

 これまで幾度となく発掘調査が実施され、出土した土器は山内清男によって子母口式

土器と命名されています。

 

 

 本来の計画では、午後からJR武蔵小杉駅周辺の史跡踏査も検討していたのですが💦

実行しなくて良かったぁ💦

 

 子母口のバス停からJR武蔵小杉駅まで🚌で戻り、川崎駅周辺で懇親会🍺🍶を行い

まして、日本史跡研究会 令和6年度 第1回現地踏査を終えたのでありました(^^♪

星王山 能満寺本堂(神奈川県川崎市高津区)

 

  【 星王山 能満寺本堂 】

 

   所在地: 川崎市高津区千年345

 

 

 正式には「星王山 寶蔵院 能満寺」。天台宗寺院で、本尊は虚空蔵菩薩

 

 準西国稲毛三十三所観音霊場16番札所、武相不動尊霊場6番札所、都築橘樹酉年地

蔵尊霊場14番札所。

 

 

 寺伝によれば、奈良時代行基によって開山されたとされ、元々は橘樹郡寺の影向寺

塔頭であったという。

 

 戦国時代、快賢によって中興され現在地に移転。江戸時代中期に観空によって再び再

興されている。観空は正徳4年(1714)に没しており、それ以前に再興されたこと

は明らかである。

 

 

 境内の不動堂内で、川崎市指定重要歴史記念物「木造増田孝清座像」は踏査で確認で

きた(^^♪ がっ、踏査当日の酷暑は朝から気力・体力を容赦なく奪い去り💦💦能満寺

境内にある石造物等々の確認を怠る結果となってしまった(>_<)

 

 これからの踏査は本当に時期を選んで行わなければ・・・命の危機ってことになりか

ねない💦💦 せっかく足を運ぶのだからしっかり現地踏査するために💦💦

 

 (参考資料)

   現地案内板