日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

日本各地の埋もれた史跡などをご紹介致します。また、日本史跡研究会の活動についてもご紹介しております。

遅れを取り戻すのは日本の良き文化?

 

 週末の土日で片付けておきたかったことが片付いていない💦💦

 

 特に今週末の日曜日(30日)に迫った『博物館概論』在宅特別科目習得試験の解答

残り3問作成は必須且つ近々に片付いておかなければならない課題です(+_+)

 

 今日のみで遅れを取り戻すことは困難ですが・・・、新幹線🚅等も遅れを取り戻すよ

うにスピード若干UPするように残り6日で何とかしっかり解答作成しておかなければ

なりません💦

 

 在宅特別科目習得試験も10問中1問を解答するので、準備しておいた9問の解答は

不要となりますが💦準備していなかった問題が出された時にバタバタしたくない。

 

 これまでの在宅特別科目習得試験受験で、しっかり解答準備しておき、それを答案用

紙に書き写すだけでも、2時間はかかります💦💦

 

 通常の科目習得試験受験とは異なり、テキストやサブテキスト、自筆ノートを見てOK

ですが・・・、それなりに集中力を要しますからね(+_+)

 

 遅れを取り戻すのは日本の良き文化?ですから、頑張って解答作成致しますm(__)m

思うようにいかない1日💦

 

 昨夜考えていた今日の予定は・・・、

 

 ① 来週に迫った『博物館概論』在宅特別科目習得試験に向けて、残り3問の解答作成

 ② 完成した日本史跡研究会会報発送準備作業

 ③ 仕事関係も若干あり、給与計算           etc.

 

 しかしながら、そう思うようにいかないのが常💦💦💦予定外の状況が次々と発生す

るのである(>_<)

 

 そうだ。身だしなみも大切ですぞ!!と床屋に行ったことに始まり💦蔓延防止等重点

措置の最中、お昼はお蕎麦屋さんに💦💦結局、帰宅したのが午後2時(>_<)

 

 そこから、

  ① 給与計算&賃金台帳への記入

  ② 明日にはポスト📮に投函したいと、会報発送準備をし

  ③ 思った以上に早く終わった駐車場整備の第1弾!!「外壁修理」に引き続き

   「庭木整備」のため、業者との事前打合せが急遽入り💦

 

 その結果、ようやくこの時間にブログ記事更新(>_<)

 

 本来片付けたかった『博物館概論』在宅特別科目習得試験に向けた解答作成が手付か

ず💦💦💦

 

 既にこの時間になってしまったので、『博物館経営論』テキスト学習を少しでも進め

ておくことが精一杯だろうなぁ。何も学びが進まないってことのないようにしなければ💦

 

 そして、明日には必ず解答作成に着手しなければ・・・(>_<) 

令和3年度『富岡市内出土品展 ~あの時代の今が観たい~』

 

 今年は会期ギリギリでの見学となってしまいました💦

 

 毎年恒例の令和3年度『富岡市内出土品展 ~あの時代の今が観たい~』。

 

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 群馬県もオミクロン株感染急拡大を受けて蔓延防止等重点措置が昨日より発令💦その

せいもあるのか、会場は貸切状態(+_+)

 

 おかげでゆっくり遺物を観察できました(^^♪

 

 例年に比べて展示遺物は少なめ?でしたが、桐淵古墳群出土(高瀬24号古墳)の馬

具や今後整備が進められる中高瀬観音山遺跡の遺物はじっくり観察してきました(^^♪

 

 オミクロン株感染急拡大でなかなか出掛けるのも控えなければならない状況が続きま

すが、できる限り間近で遺物を観察できる機会は逃さないようにしたいと思います(^^♪

新薬師寺旧境内 大型基壇建物跡(奈良県奈良市)

 

  【 新薬師寺旧境内 大型基壇建物跡 】

 

   所在地: 奈良市高畑町

 

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 平成20年(2008)、奈良教育大学校舎改築に伴う発掘調査が実施され、構内で

大型基壇建物跡が検出した。

 

 凝灰岩製(二上山産)の延石列と雨落ち溝が検出し、基壇の存在が明らかとなり、基

壇内西部には一辺約3mの壺地業と呼ばれる礎石を据えるための地固めを行った痕跡が

残されていた。

 

 基壇南全面には幅約52mにもなる幅広の階段が設けられ、基壇自体の幅約68m、

奥行約27mと推定され、基壇の高さも約2mと推定されている。

 

 大型基壇建物跡の復原では、現在の東大寺大仏殿に匹敵し、奈良時代では大極殿より

大きく大仏殿に次ぐ規模となる。

 

 七仏薬師金堂と推定されているが、平安時代末期に成立した『東大寺要録』巻第六・

末寺章には「九間仏堂」であったと記されており、十三間に復原される大型基壇建物跡

とは合致しない部分もある。天平勝宝8年(756)成立の『東大寺山堺四至図』で

は、羅索堂(法華堂)の真南に七間の新薬師寺堂が描かれているが、これとも合致しな

い。

 

 しかしながら、新薬師寺の主要伽藍は『続日本紀』によれば、宝亀11年(780)

に落雷⚡で西塔が焼失し、いくつかの堂宇が延焼、さらに応和2年(962)、台風で

金堂以下主要堂宇が倒壊するなど早い時期に失われていることから、主要伽藍の位置は

不明であったが、大型基壇建物跡の検出で伽藍の一部の存在が明らかとなった。

 

 平成21年(2009)の調査でも、大型基壇建物跡の中軸線上の南方に一対のヒノ

キ製八角柱が検出し、建物跡の存在が明らかとなった。

 

 

 奈良市写真美術館を経て新薬師寺に向かう途中、奈良教育大学沿いを歩くのである

が、フェンスに案内板を発見した。これが「新薬師寺旧境内 大型基壇建物跡」の案内板

であった。

 

 散策中にこうした案内板が設置されていることは、非常に好ましい(^^♪ 調査後は遺

構は埋め戻されているが、往時の状況を偲ぶことが出来るからである。

 

 文化財保護法改正によって、文化財の活用が謳われており、こうした取り組みがより

進むことが望まれる。しかしながら、ありとあらゆる遺跡に案内板が設置されたら・・

日本全国各地に案内板が乱立してしまうでしょうねぇ💦

 

 (参考資料)

   現地案内板

日本史跡研究会 会報『埋もれた歴史を訪ねて』第9号ようやく発行!!

 

 日本史跡研究会活動の集大成である会報『埋もれた歴史を訪ねて』第9号ようやく発

行出来ました!!来週早々に会員の皆様へ発送出来るよう準備を進めています💦

 

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 昨年も新型コロナウイルス感染拡大に伴い、ほぼ何も出来ず💦そして現在もオミクロ

ン株感染急拡大と本来記念すべき10周年なんですが・・・活動再開は未定(>_<)

 

 会報発行も1年近く遅れてしまいましたわ💦

 

 でも、無事に第9号発行できて良かった良かった(^^♪

 

 今回は、某の論文第2弾!!「史跡指定の諸問題の考察~文化財保護と活用の根幹

~」をメイン記事にしております(^^♪

 

 

 ようやく発行にこぎつけた時には、第10号発行に向けて準備しなければならない時

期💦ひと息付く間もないですねぇ💦

 

 さて、次回作は何にしようかなぁ💦💦💦

オミクロン株感染拡大に伴い💦

 

 オミクロン株感染拡大に伴い、早かれ遅かれ蔓延防止等重点措置が発令されるだろう

なぁ💦とは思っていましたが、群馬県も全県対象となりました。

 

 全国的にも本日は30,000人超え。

 

 多くの地域で感染拡大に伴い、イベント等の延期もしくは中止が発表されています

ね。開催してクラスターが発生した場合、大変な事態になりますからねぇ💦

 

 デルタ株とは異なり、感染しても比較的軽いと報道されてはいますが・・・、感染

してしまったら、仕事に影響を及ぼすことは変わりありません。

 

 従って、この状況が落ち着くまでは不要不急の外出は自粛(>_<)

 

 先ずは自分自身の生活あってのことですからね。某、心臓疾患もありますし💦

 

 「症状が軽いから」とか、「ここまで感染拡大したらもぉ良いんじゃない」とか、

様々な判断はあるでしょうが・・・、やっぱり感染しないのが一番良いんじゃないでし

ょうか。

 

 しっかり対策しても感染してしまうこともあるでしょう。ですが・・・、可能な限り

自粛することは求められますよね。医療従事者の方やソーシャルワーカーの方が逼迫し

ないよう十分注意していきたいと思います(^^♪

西光山 宥勝寺(埼玉県本庄市)

 

  【 西光山 宥勝寺 】

 

          所在地: 本庄市栗崎155

 

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 真言宗智山派に属し、京都智積院の末寺で、不動明王を本尊とする古刹。

 

 関東八十八ヶ所霊場第八十六番札所、児玉三十三霊場第十九番札所、彩の国武州十二

霊場亥年霊場、関東地蔵百八札所第十七番札所である。

 

 寺伝によれば、寿永3年(1184)、一の谷の合戦で戦死した有道宿弥武承惟行五

世の孫で児玉党旗頭・有荘太郎家永の嫡子である小太郎頼家の菩提を弔うため、建仁

年(1202)、その妻が法印良運を京より迎えて開山として一寺を建立。有荘寺と号

し、自らも得度して妙清禅尼となったという。

 

 それ以前、有道惟行は沙門空海巡礼の折りに、浅見山に一寺を建立し、阿弥陀如来

安置し、西光寺と号していたとされる。

 

 延年2年(1337)、新田氏VS足利氏の争いの兵火🔥によって焼失し、さらに天

文6年(1537)、後北条氏と上杉氏の浅見山の戦いの戦火によって堂宇は再び焼失

し無住の寺と化している。

 

 その後、荒廃した寺院を惜しみ、紀州根来寺より頼暁和尚を招き、天文24年(15

55)、西光寺と有荘寺を合併して一寺とし、西光山無量寿院宥勝寺と改称した上で再

興された。

 

 宥勝寺は末寺十数ヶ寺を有する名刹となり、慶安元年(1648)、良弁僧都の時、

徳川家光より寺領十石の御朱印を与えられている。

 

 

 境内に「荘小太郎頼家の墓」があることから訪れたのであるが・・・、御朱印貰いそ

びれてしまいました💦

 また「本庄早稲田の杜ミュージアム」には行く機会はあるでしょうから、その際に再

訪したいと思いますm(__)m

 

 (参考資料)

    現地案内板