所在地: 安中市安中3-9
安政2年(1855)、安中藩主・板倉勝明は、藩士の鍛錬のため甲冑で身を固めさ
せ、安中城から碓氷峠に所在する熊野神社までの7里余(1里=3.93㎞。約28㎞ほ
どの距離であるが、高低差は1,000mほどある)の徒歩競争を行った。
この際の時間・着順は昭和30年(1955)、熊野神社社家・曾根家より『安中御
城内御諸士御遠足着帳』が発見され、詳細が明らかとなった。
遠足(とおあし)は安政2年5月19日から6月28日にかけて、藩士を数人ずつの
グループに分け、熊野神社まで往復させている。神社では初穂料を納めており、餅や切
り干し大根が振舞われたという。
走った藩士の総数は98名で、2名は2度走っており実質96名の参加である。
実施に際して板倉勝明は遠馬をしてコースの下見を行った上で、5月11日に実施要
綱を示している。要綱によれば対象者は50歳以下の藩士で、碓氷関所や碓氷峠で到着
時刻を記した書付を貰うこと、足痛などによる遅延には罰則はないものの、内緒で馬や
駕籠で帰着したものには処分を行う旨が記されている。
着順・タイムは重視されておらず、藩士に意義を持たせて走らせることが目的であっ
たようだが、組織的に記録を争う形式で競走を行った安政遠足は日本におけるマラソン
の始まりとされています。
昭和50年(1975)、安政遠足保存会および安中市が主催した「安政遠足 侍マラ
ソン」が開催され、以来毎年5月に参加者の半数以上が仮装をした「安政遠足 侍マラソ
ン」が開催されています。
安中市の風物詩として定着している安政遠足 侍マラソン。長ければ30㎞を走るそう
だ。今年、友人らが(当然仮装をして)参加したのだが・・・某は絶対に参加しないこ
とを誓っている!!
(参考資料)
現地碑文